ムスティエール・サント・マリー~グレウー・レ・バン~ロキシタン工場見学~サン=サトゥルマン=レ=アプト~ルシヨン~アヴィニョンへ

ムスティエール・サント・マリーム~グレウー・レ・バン~ロキシタン工場見学~サン=サトゥルマン=レ=アプト~ルシヨン~アヴィニョンへ

 ムスティエール・サント・マリー

大自然の中、ぽっとできてたムスティエール・サント・マリー。駐車場にはたくさんの車が止まっています。観光客の一休みというのもあるのでしょうけれど、ここは陶器の町でもあります。地域の雇用を創出しているのかもしれません。ここの陶器は白地に気球のイラストが書きつけられていることが特徴です。マリー・アントワネットがこのんだことで有名です。お土産用にといっても、すべてがお土産かも?とか思いながら、フランスの他の地域ではめにすることはありませんので、いくつか買いました。基本、どれも同じデザインです。私は茶道を学んでいるのですが、お茶碗にも最適です。まあ、日本のそれにくらべると趣もなにもあったものではありませんが…。

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ムスティエール・サント・マリーは岩山の中腹にあります。このあたりではめだちますし、防衛にも適した場所を上手に選んで町が作られています。そのため町からは町の前をとおる街道を見渡すことができます。

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町というか村の中心の広場です。
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不思議な場所にムスティエール・サント・マリーはあります。

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5月だったので、一面、菜の花畑です。
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引き続き悪路をすすむとこんなお城がひょっこり出てきます。おそらく個人の住居だとおもいます。すてきですよね。

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グレウー・レ・バン

さて、さらにすすむとグレウー・レ・バンにでます。結構、大きな町です。そして町をみおろす丘には立派な城があります。このお城、テンプル騎士団の所有する城だったそうです。以上(笑)。この地域の歴史や観光のランドマークに対する説明はだいたいこんな感じでシンプルなのです。このお城も旧市街を突き抜けていったところにあるので目指します。そして下の写真の裏側に到達するのですが…驚愕なことに、このお城、壁だけなんです。裏はなにもない広場のようなスペースです。これには驚きました。ここはここで趣のある町ですが…結局、このあとのロキシタンの工場見学、ここ、グレウー・レ・バンの観光局で申し込む必要がありました。さっさと申し込みロキシタンに向かえばよかったのですが…

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地名に「○○・レ・バン」とつくと、ざっくり言えば温泉がでる保養地であることが多いです。ただし、フランスの温泉は保養施設で医師の診断書が必要なところがほとんどです。ここもそういった医療施設です。日帰り入浴できるとおもってきたのですが、だめでした。

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建物はきれいです。

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ロキシタン工場見学

ロキシタンの工場見学にきました。がファクトリー・ヴィジットの時間には間に合わず、直売所によるだけとなってしまいました。

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USINE(ウジーヌ)は工場という意味です。

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この工場で作られた製品を直売していますと書いてあります。

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サン=サトゥルマン=レ=アプト

このあとはサン=サトゥルマン=レ=アプトへとむかいます。もう、夕方です。そして、ここにも城跡があります。

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サン=サトゥルマン=レ=アプトの城跡からの眺望です。

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順番が前後しますが、駐車場から城跡への城下町です。
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城跡に唯一のこる礼拝堂です。

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ルシヨン

このあとはルシヨンです。時間が時間なので、村にはひっそりしています。営業時間後のテーマパークのような雰囲気です。夕方、人がいない状態でした。プロヴァンス観光の訪ねたい村に必ずはいっているこのルシヨンでも元妻にとっては、何しにきたんだっけ?とおもわれたかもしれませんね。一緒に行く人との知識レベルのすり合わせは重要です。

 

この村は顔料が取れます。たてものの壁土に顔料が含まれとても美しいことで有名です。

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アヴィニョン

アヴィニョンにつきました。写真は翌日の明るいときのもの。実際はもう、かなり暗くなってから着きました。

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上の写真のパブで夕食です。価格も同種のものを日本でたのむのとそれほど変わりません。疲れているときはワインよりもビールの方がアルコール軽めでいいですね。ちなみにこのお店、学生時代にはじめてきたときも、それから、2009年も、そして、2018年にきたときも変わらず営業しています。飲食って場所ですよね~。2018年が一番賑わっているように感じました。

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アヴィニョンの城壁の外にある非常に快適なホテルにとまりました。

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このページのルートです。

バール=シュル=ルー(le bar sur la loup)のホテルをチェックアウトして、結構な長距離をいろんなところにちょいちょい寄りながらベストルートをとれたんじゃないかなと思います。途中に二泊したら、最高だったかも。もう一度いくならこんなルートにしたい、というのを別にページ作ってまとめてみたいと思います。興味ある方はごらんになってみてくださいね。

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ニース、プロヴァンス鉄道、アントルヴォー

ニース、プロヴァンス鉄道で行くアントルヴォー

2009年のフランス旅行の記録です。

最初にニースに入り、そこからレンタカーでグラース、ナポレオン街道、ゴルドン渓谷、プロヴァンス、そして、パリへと抜けました。当時は大冒険でした。今、行こうと思っても、諸事情で難しいだろうなあと思ったりもします。ですが、せっかくの記録。このときは楽しい思いもそうでない思いもたくさんしたのですが、少しでも記録に残せたら、と思い当時のことを思い出しながら書いています。

 

何しろ10年前の記録。カテゴリーの2009年とあったらあまり期待しないで、参考程度、くらいで温かい目でみていただけたらとおもいます。

 

初日はニースにチェックインし、その後、プロヴァンス鉄道に乗りました。

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プロヴァンス鉄道はニース↔ディーニュ・レ・バン間を結ぶ鉄道です。

途中、山間の谷間を通るのですが、ところどころとっても美しかったりします。

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 ほとんどバスですね。f:id:TACOYAKI:20190106051454j:plain

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ニース市内を抜けるとコート・ダジュールと呼ばれる地域、海につながる河川の断崖上につくられた村々の間を通り抜けます。昔はそれだけ、異教徒の海賊やら、ノルマン人やら侵入者がたくさんいたのでしょうね。このあとみることになりますが、このあたりの村落の作りはとても他者を警戒するような作りになっています。

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そして、この日の目的地アントルヴォーにつきました。

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ここ、アントルヴォーには、五稜郭でも有名な築城術の大家、ヴォーヴァンの設計による要塞があります。私が幼い頃、函館の五稜郭はオランダの築城術に従って作られたと習いました。現在はフランスの~になおされているはずですが、あの、星型の都市をまもる要塞を築城術として完成させたのがフランスのヴォーバンです。アンバリッドにも祀られています。五稜郭の話ですが、ただしくはオランダ語に訳されたフランスもヴォーバンによる築城術に基づいてつくられたということになります。

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駅をでるとすぐ、アントルヴォーの美しい光景が目の前にひろがります。

山の頂上の砦にむかう道に白い点が見えます。これは通路を頂上へ向かって進ませないためのゲートです。

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ちなみに駅前はこんな素敵なバーというかカフェがあります。

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そして、このゲートを超えてアントルヴォーに入っていきます。

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こんな狭い道を攻め登っていかなければなりません。そして、ところどころにゲートというか、壁があります。もう、鉄壁の守りですよね。

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さすがにニース近郊です。麓の村々にどことなく豊かさを感じます。

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いよいよ頂上ですね。

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てっぺんです。なんのことはない見張り小屋です。

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霧が晴れてきました。なかなか不思議な光景ですよね。

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この谷間をフランスの敵国の軍勢に入られないようにこの要塞を作ったのだと思います。

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ですが、ちょっと思いました。もし、私でもあなたでもこの道を通って、フランス領に侵入しようと思ったとします。ここに砦がありました。でも、多くの歩兵や騎兵を保有しているとはおもえない規模ですよね。しかも、大砲を据え付けるだけの平地もなさそう。

無理して落城させる必要があるのかな?そのままスルーしても何の問題もないのでは?

 じつはアントルヴォー、昔かよっていたフランス語の学校のクラスの壁に大きな立派なポスターが貼ってあったんですね。で、一度は来てみたいとおもったのでした。しかもヴォーバンの設計です。で、城にのぼっておもったのですが…城に登ったら城のきれいな写真は撮れないんですね。登るべきは絶景ポイントなんです。これはショックでした。なにしろすごい霧の中、あの上り道をのぼっていったのですから。

 

ただ、写真に興味のある人、ニースに来たけど、中世フランスの味わいも体験したいという人、泊まる必要はありません。事前にしっかり絶景ポイントを調べて来れば、かなり良い写真取れると思います。何しろ、私、いままでいろいろなフランスのお城をたずねてきましたが、このタイプは別格です。もはやRPGの世界のようなお城です。昔のFFにでてきそうな。被写体としても、このあたりの風景としても、おすすめです。

 

このページのルートです。

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実際はプロヴァンス鉄道だけで行ってます。あくまでイメージとして、ね。

パリを満喫

パリに来ました。

前回の続きです。シテ島内のホテルにチェックインしました。

もう何度も来ていますが、パリには他の国にはない独特の魅力があります。

凱旋門

絶対に、何がなんでも来てほしいのが凱旋門ルーブルやオルセーよりも間違いなく外さないと思います。美術品は好き嫌いありますし、並びます。エッフェル塔は常にテロのリスクがあります。

 

しかし凱旋門は…この眺め!しかも…中に入るとひたすら長い階段を登り続けます。火災になれば大変ですが、とにかく人が一箇所にあつまらないため、テロの効率が悪すぎます。建物の破壊すら用意ではありませんん。なので、個人的にテロのターゲットにはなりにくいと思っています。

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この道、マルソー大通りをまっすぐ進むと

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アルマ橋にでます。美しいですよね。エッフェル塔

ケ・ブランリー美術館

その後、向かうはエッフェル塔ではなくケ・ブランリー美術館。ここはお薦めです。なにしろ展示の方法が面白い。おもにフランスの海外植民地で収奪してきた民族文化のコレクションですが、なかなかイマジネーションを掻き立てられます。それからこのケ・ブランリー美術館の屋上のレストラン、実はまだいったことないのですが、いろいろなところで取り上げれています。

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この後は…下水道博物館なのでした。

下水道博物館

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SENS DE LA VISTEは「見学者はこちら」みたいな意味です。

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昔はこの船で地下の下水を攫っていたそうです。想像しただけで気持ち悪いですね。

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これはたしか、レ・ミゼラブルからの1シーンだったと思います。この数年後にミュージカルを映画にしたレ・ミゼラブル、ご覧になった方も多いと思います。最後の下水道での追跡劇、圧巻ですよね。マリウスとかコレットとかジャベールとか懐かしい。

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これは現在だと思います。この球をころがして掃除しているわけですね。

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アンバリッド

出口から、セーヌ河岸を歩くとアンバリッドにつきます。ここは廃兵院といいます。廃兵院、なんのことだかわかりますか?私は大学2年生の時、はじめてフランスにきたのですが、意味がわかりませんでした。地球の歩き方をみると「ルイ14世が傷病兵を収容するために建てた(以下略)」とあります。この説明でわかりますか?病院?って思いますよね。でもとてつもなく巨大な建物です。

 

実は、ここは戦争で傷害が残ってしまった人の残りの人生の面倒を見る場所なのです。日本には軍隊がないため、ちょっとイメージわかないですよね。(あってもこういう施設を準備するかどうかは疑問ですが。)現在はプロバンス外人部隊のそういう施設があります。そこではワインも作っています。

ちょっと脱線しましたが、礼拝堂(円屋根のドーム)にはナポレオンの棺が、建物部分は戦争にかんする資料(古代から近代まで、鎧や刀からマシンガンなどの兵器まで)とにかくとんでもない量の展示物です。

ということでお薦めです。

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この街路灯邪魔です(涙)。

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これがナポレオンの棺です。息子のローマ王も一緒に埋葬されています。

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この辺りの鎧はおそらく、アルビジョワ十字軍の頃、全盛だっと思われます。その後の英仏100年戦争の前半あたりまでは。ちなみにフランス語もイタリア語も騎士のことは馬に乗る人、という意味なのですが、英語のナイトだけ意味が違います。Horsemenではないのです。なぜでしょう?当時、軍馬が少なく、馬で移動し、戦争は馬から降りて徒歩で戦ったからだという説があるそうです。

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完成品だけではなく、つけてた人は即死だろう?と思わせるような破損した鎧も展示してあり、なかなかのリアリティを感じさせてくれます。
長くなりましたのでパート2に続きます。

 

ピュイベール城→レンヌ・ル・シャトー

モンセギュール城を後にして、ピュイヴェール城に来ました。

このピュイヴェール城カタリ派の他の城同様、廃城です。が、この後、何枚も写真を見ていただきますが、とっても美しいのです。我々がイメージするいわゆる中世のお城の遺構をのこしているからだと思います。

 

そして、このお城もカタリ派の城の一つです。といっても城主がカタリ派だったということではなく、アルビジョワ十字軍の侵攻を受けた城という意味です。カタリ派の城巡りと言った場合、カタリ派が拠点としていた城(モンセギュール城やケリビュス城、ペイルペルテュース城などが有名)もあるのですが、そうではなくピュイベール城のようにトランカヴェル家の配下の封建領主として、ま、言ってしまえば、主君の失策の巻き添えをくった城も結構あります。

 

城主はコンゴスト家。吟遊詩人の保護でしられた貴族であったそうです。このお城、通商路の要衝に位置し、かっては多くの人の往来でさかえただろうなあと往時の繁栄が想像できるかのようです。

 

攻城戦はあっという間にかたがつき、わずか数時間で落城したそうです。コンゴスト家は名門でもあるそうですが、他には城をもっていなかったそうで、この城を失い、そのまま歴史の舞台からも消えてしまうことになりました。冷静に考えると、この城で籠城戦に持ちこたえる(投石機に耐える)のが難しいことはすぐわかります。

 

アルビジョワ十字軍の侵攻をうけたラングドックの地にはコンゴスト家のような封建貴族がたくさんいました。殆どが家名断絶となったのですが、一部には上手に立ち回った家柄もありました。降伏でも抗戦でもなく、主をトゥールーズ伯やトランカヴェル子爵から、フランス王家へ直接、臣従を誓うケースなどです。当然、十字軍はフランス王直属の家臣に手を出すわけにはいきません。

 

900年前も今も、生き残りのルールは一緒ですね。何がおこるか予測する技術。殻に閉じこもって嵐が過ぎ去るのとじっと待つというやり方は逆にリスクが高いということかなと。

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上、駐車場からお城を臨みます。下、駐車場からいままで通ってきた城下の方向を臨みます。

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この写真だけみると、ちっちえーなーと思いませんか?&やってのか~?と。

それから衝撃なのは、こんな廃城に入場料取るのか?と驚きました。

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写真ではなかなか伝わらないのですが、実はとっても大きいのです。

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兵(つわもの)どもが夢のあと、といった感じしませんか?

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投石機が打ち捨てられじゃなく、展示されてます。

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投石機の攻撃にはめっぽう弱いだろうなあというのがわかりますね。
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眼下に支配においていたであろう城下を見下ろすことができます。

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崩れかけた塔の上から城の全体像を臨みます。山の稜線の上に作られたことがよくわかりますね。

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訪れる人もほとんどなく、ひっそりとしています。
ですが、いろいろなお城を訪ねたことのあるわたしでも ここは何がなんでも訪れるべき名城の一つだと思います。

 

このあと、レンヌ・ル・シャトーへと向かいます。

 

ここ、レンヌ・ル・シャトー、シャトーはフランス語で「城」という意味です。ちょっと不思議な村名です。ここに赴任してきたソニエール神父が赴任している際に、悪魔の彫像から巻物がでてきて…そこから急に神父の金回りがよくなったことからその巻物はとんでもない価値をもったものか、財宝のありかをしめした宝の地図ではないか、と噂になったことで一躍有名となりました。

 

これ以外にはとくに特徴のない村です。といってもこの小さな村の歴史はとてつもなく古いのです。なんと、西ゴート王国の夏の都だったというのですね。そしてこんな小さな村に、小さな城があります。

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ソニエールの蔵書があつめられていたそうです。

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この悪魔の彫像の中からでてきたそうです。もちろんこの彫像はレプリカです。

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そして、この何の変哲もない田舎家みたいなのがレンヌ・ル・シャトーの城です。その来歴はよくわかっていません。入場もできません。

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個人の邸宅みたいな城ですが、反対側にまわると地形の利を活かした断崖に面しています。

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レンヌ・ル・シャトーの周辺にはシャトー・ドゥ・ブランシュフォールなど不思議な城があります。また、この城のそばにはルーブル美術館にある、プッサンアルカディアの牧羊を描いたとされる場所があり、プッサンは宝の場所をしっていたのではないか、などいろいろな伝説がこの地に彩りを添えています。

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https://www.boutiquesdemusees.fr/ より拝借しました。

この背後の山がこの地、ラングドッグだという説があるのです。

財宝はカタリ派の財宝であったり、ダヴィンチ・コードであれば、イエス・キリストの血脈を記した文書であったりと諸説あるそうです。まあ、ダヴィンチ・コードの話はいくらなんでも荒唐無稽だとは思いますが。

 

ノルマンディー旅行(バイユー、オマハビーチ、エトルタ、カマンベール)その3

 バイユーを後に、もう、この時点で夕方ですので、本日の宿泊先、エトルタに向かいます。途中、ノルマンディー大橋をわたります。このノルマンディー大橋、高速道路のため、停車はできず、そのため、写真は車内助手席からとるしかないのですが、見てください!立派じゃありませんか?
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オンフルールとル・アーブルの中間にあります。

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この、なにもない、農道のようなところをVW(フォルクスワーゲン)のミニバスが走ります。対向車きたら結構、きついんじゃあないかな。そして、ナビではそろそろエトルタなのです。が…海なんかどこにも…

 

ドライバーさんはエトルタに来たことがあるから特に不安もないそうですが、これ、レンタカーで運転していたら、ちょっと不安になりますよね。道路の番号表示もないし、この先何キロでどこ、という標識もありませんので。

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と、走行するうちにエトルタに着きました。美しいですよね。

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10月上旬ですが、観光客はほとんどいません。この海岸に面して市街なのですが、ほとんどのお店がシャッターをおろしています。レストランから、ビストロまで、閑散としています。もちろん、やっているお店もあることはあります。ガイドさんによると夏はものすごい人だかりだそうです。ちょっと想像がつきません。

 

結局、滞在先のホテルがやっているレストランで食事にしました。ワインは、ノルマンディー産のワインなんてあるはずもなく、ロワールのサンセールなどがリストにありました。

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オマハビーチとはちがった独特の美しさです。これには両親も喜んでくれました。

ちなみにエトルタは私も初めてきました。

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モネがここからかきましたという案内板です。

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こちらの岸壁の奥に、アルセーヌ・ルパンの奇巌城のモデルとなった岩があります。そして、アルセーヌ・ルパンの作者、モーリス・ルブランはエトルタの出身です。

 

日付が変わって翌日。オンフルール、ル・アーブル、カマンベール村、そしてパリへと帰ります。

 

朝はエトルタの近郊を散歩しました。

グーグルの画像検索でエトルタの風景のことは知っていました。そして車で来れないかなとおもっていたのですが、車は入れません。したがって、なんと、ホテルのある砂浜から歩くしか無かったのでした。

 

ただし、上りの勾配はそれほどきつくはありません。エトルタを満喫しようとおもったら夕方に来て、翌朝、2~3時間くらいとってもいいかもしれません。

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中央の岩へと続く通路があります。

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遊歩道です。たしかここに盗んだ財宝を隠したことになっているはずです。

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もしかしたらここだったかな。

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下をみると…怖いです。ここ、かなり強風です。

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昨晩のホテルのあるあたりの浜辺です。

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この後、ノルマンディー大橋を渡り、オンフルールへ向かいます。

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繰り返しになりますが、今回はノルマンディー大橋の全体像を。

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目指すはオンフルール。フランス語はHを発音しません。なので、HONFLUERとかいてオンフルールです。

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オンフルールは 印象化の画家が題材としてたくさんの作品をのこしました。

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上がスマホブラックベリー)下がキャノンのデジイチでとりました。

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上がキャノン、下がソニーのミラーレスです。

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上がソニーのミラーレス、下がキャノンです。

オンフルールの上の3枚だったらキャノンがいいかなあって思いました。みなさんは行かかでしょう?(ま、結局はレンズですが)

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水面がまるで鏡のように反射して絵になる風景となっています。

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基本、オンフルールはここだけです。オンフルールは空襲をうけなかったので、古い町並みが結構残っています。

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アレクサンドル・デュブールはオンフルール出身の画家で多分、印象派です。オンフルールを描いた作品を多数残しています。「小さな肉屋通り」だそうです。

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下の木造の建物は監獄としてつかわれていたそうです。

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フランスの古い建物、たまにみることがあります。それらの多くがつい最近までつかわれていたりとかで、素敵だと思います。が、結構、狭くて、小さいんですよね。

 

日本人の住宅のことをうさぎ小屋といったのはフランスの大統領だったとおもいますが、どうしてなかなかフランスだって一部のお金持ちと農村を除けば、相当にうさぎ小屋ですよね。

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この教会は天井をみてもらうと、船の底を模した天井になっています。なぜ、左右両方あるかというと、もともとは片側分しかなかったのですが、人口が増えて、横に倍になるよう増築したそうです。パリとかボルドーブルゴーニュの教会とくらべると相当に地味です。

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ここでお土産をかいました。帰国後、飲もうと、神田のいせ元さんにもっていったのですが…あれ、一緒にいったANAのCAの子に飲まずにあげちゃった。どんな味だったんだろう…冷やしてのめって言われたんだけど。のんでくれただろうか?

 

さて、オンフルールといえば、となりのハーフルールが砂で埋まって港としての機能が果たせなくなったので作られた港でもあります。いまもハーフルールはオンフルールのとなりに残っています。

 

で…言いたいのが、かっての港であったハーフルールこそはヘンリー5世がフランス上陸のため攻略しようとした港町でした。ハーフルールの守りは当初固く、攻城戦に手間取りました。

 

シェークスピアのヘンリー5世、あの有名な  “Once more unto the breach, dear friends, once more; / Or close the wall up with our English dead.”(もう一度あの突破口へ突撃だ。諸君、もう一度!それがならずばイギリス兵の死体であの穴を塞いでしまえ)は、この攻城戦からうまれたのでした。シェークスピアはいいのですが、当時の情景を想像すると、「あんたが先にいけよ。」と言いたくなりますね。

 

ちょっと長くなりすぎちゃったので続きます。

このページのルートです。

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カルカッソンヌからアヴィニョンへ

カルカッソンヌの旧市街(城壁内部)観光を終え、次の目的地、アヴィニョンへ向かいます。

 

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車窓からとった写真なので、あまり鮮明ではありませんが、ここがベジエです。

ベジエといえば、アルビジョワ十字軍の最初の犠牲を出した町です。包囲した十字軍の兵を率いる隊長がローマ教皇庁から派遣されてきていた使節に訪ねます。

隊長「どうやって異端のカタリ派カトリックを見分けるのでしょうか?」

使節「選別は神の仕事、我々の仕事は神の身元に送り届けること(=全員皆殺しにしろ)」

 

当時の戦争の常識では教会内に逃げ込んだ者は殺害してはならない、というルールがありました。しかし、この戦争ではこのルールは無視され、教会内に逃げ込んだ市民も全員虐殺されました。

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途中、ニームで乗り換えて、アヴィニョン駅です。

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なかなか立派な城壁だと思いませんか?

中世、こういった城壁の外には、人がすむことはなかったのでしょうか?都市が大きくなればそれはないですよね。それともきっちりみんな城壁の中にすんでいたのでしょうか?

 

答えは、税金を払える、つまり所得のある人だけが城壁の中に住むことができました。そうでない人や新しくよその土地から移ってきた人たちは城壁の外に家をつくって住んでいました。

 

戦争の際、城外の人は…城内に避難することは許されませんでした。

アヴィニョンはアルビジョワ十字軍の頃、神聖ローマ帝国の領土内でトゥールーズ伯の領地もありました。トゥールーズ伯は今で言うフランス国内の広大な領地と神聖ローマ帝国内にもおおきな領地をかかえていたのでした。もちろん、フランスの王家よりはるかにその所領は広大で裕福でした。国家という概念は当時、ありませんでした。

 

さて、十字軍のとき、この町の運命はどうなったと思いますか?

 

じつは、ローマ教皇庁の預かりとなり戦火を避けることができたのでした。トゥールーズ伯が破門をとかれると領地アヴィニョンも伯に返されます。その後、トゥールーズ伯は何度も反乱を起こします。2回めの蜂起で、再度トゥールーズ市を包囲したシモン・ドゥ・モンフォールが投石機の石で頭を砕かれるとシモン・ドゥ・モンフォールの息子、アモリーは領土を維持することができずカルカッソンヌを追い出され、パリに戻ります。パリではフランス国王にカルカッソンヌの領主としての権利を売却しました。

 

その後…フランス国王は対立するフランドル伯や、ボルドーと英国に所領をもつプランタジュネ家との抗争を優位にすすめることに成功します。そこで、購入したカルカッソンヌの領主としての権利を行使するためラングドックに攻め込みます。攻め手はルイ8世みずから軍を率いて南下します。その際、アヴィニョントゥールーズ伯側にたち、攻城戦となりました。結局、包囲中にルイ8世は赤痢で死亡します。

 

アルビジョワ十字軍とその後のフランス王家によるラングドック併合が完了したあとの時代の話。フランス国王フィリップ4世はボルドー司教ベルトラン・ド・ゴーがクレメンス5世にリヨンで即位するとそのままアヴィニョンに滞在させることに成功し、1378年までアヴィニョンとローマの二箇所に教皇庁が存在したのでした。このイベントを教皇アヴィニョン捕囚といいます。

 

この当時のフランス国王とその顧問官は優秀だったのでしょうね。アルビジョワ十字軍の故事から学べるのは、トゥールーズ伯家は第一回十字軍にも参加したローマ教皇庁にとっては友人といってもいい良好な関係にあるべき間柄でした。にもかかわらず十字軍の標的にされてしまったのです。教皇が変われば姿勢も変わる。逆に言えば、教皇を支配できれば王権を高めることにつながり諸侯を服従させられる、とフランス王家とその顧問官らは考えたのかもしれません。この時のフランス王家の側につくパリ高等法院とローマ教皇庁とのやりとりを堀田善衛は大変興味深く描いています。このときに初めて外国人という名称がつかわれたそうです。

 

いろいろ複雑な歴史を持つアヴィニョンですが、残念ながらカルカッソンヌやケリビュスのあとでは両親の反応は薄かったのでした。

 

私が初めてアヴィニョンへきたときは、「おお~」と思ったものでしたが…

順番がちょっと問題だったかもしれませんね。

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駅から城壁でかこまれた旧市街のゲートをくぐって市の中心部に出る道です。

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目抜き通りを広場にむかってむかいます。昔はこの通り、たくさんのお土産屋が並んでいたのですが、今回は金融機関ばかりならんでいました。ソシエテ・ジェネラルBNPパリバのような日本でいうところのメガバンクというより、聞いたことのない

会社名がならんでいました。おそらくは…住宅ローン専門の会社か、昔の日本の消費者金融のような会社だろうと思います。

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教皇庁宮殿です。

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結構、巨大です。

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この教皇庁宮殿には学生時代から数えると3回たずねていることになります。学生時代に初めて訪問した時、この広大な宮殿の中は空洞というか空っぽでした。フランス革命の際の略奪でなにもかもうばわれてしまったとの説明でした。

前回、そして、今回、気づいたのは、当時のものもではない、レプリカだったり、関連する資料を展示して、イヤホンガイドを有料で貸出し、観光客にその説明をきかせるという変化でした。正直、過去をしっているので、ちょっとやり過ぎ?と感じました。

 

おそらく、ヨーロッパ中から観光客がおしよせ、滞在時間が増え宿泊してもらえるように、発注したのだろうと思います。ここアヴィニョンに限らずフランス全土に共通してみられる変化です。結果、どの観光地も同じような雰囲気かなあ、と感じました。それでも建物の美しさは感じさせてくれる歴史の面白さは不変ですが。

 

アヴィニョンは旧市街の建物群、教皇庁などのシンボル、美術館などみどころいっぱいです。もちろん、プロヴァンス地方をめぐるバスツアーが出発する拠点でもあります。

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Sur le pont d’Avignonの曲「アヴィニョン橋で踊ろう」のそのアヴィニョン橋です。

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ちなみにこの橋は対岸までいけません。

Sur le pont d’Avignonの曲です。

https://youtu.be/uJKfxtYAt0s

 今回のルートです。

カルカッソンヌ→ベジエ→ニームアヴィニョン

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カルカッソンヌ一日観光

さて、すったもんだあって夜遅い時間にカルカッソンヌのホテルにもどってきました。

翌日はカルカッソンヌの市内観光です。

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ホテルと城の間には川が流れています。昔は天然の堀として利用されたと思います。

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この橋を超えていきます。

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カルカッソンヌ

前後しますが、ホテル出てすぐの眺めです。この城とホテルの間には川が流れています。

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川を渡って城下を進みます。緩やかな上り坂を20分以上あるいてやっと城の入り口、ナルボンヌ門に着きます。むかし、ナルボンヌ門前のホテルにとまってことがあるのですが、ついつい便利なんですよね。

 

カルカッソンヌの魅力はなんといってもこの遠くからの全体の風景か、上の写真のような特徴的な砦のカットだと思っています。なので…20分以上のあるきは仕方ないです。

 

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 丘の頂上に城があります。

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となりに人がいると二重の城壁の巨大さがよく伝わりませんか?

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この左がわが入り口でナルボンヌ門といいます。

 

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上の写真の跳ね橋をこえたあとにあるこれが本当の場内への入り口となります。

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二重の城壁に囲まれているのですが、最初の城壁と2つ目の城壁の間の通路です。こんな難攻不落の城、攻めろと言われてもぜったいに嫌ですよね。

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城壁をぬけたところです。

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いきなり小さなお城?っおもっちゃいますよね。カルカッソンヌの写真といえばこの光景もおなじみだと思います。こちらはシャトー・コンタルといって領主の住居です。この城壁内がトランカヴェル家の人たちが寝泊まりしていた住居というか、ミニ宮廷があった場所になります。

 

ここで、また、すこし歴史について。

昔、公侯伯子男って貴族の序列を勉強しました。ではトゥールーズ伯ってなんで公でも侯でもなくて伯なんでしょう?それは辺境伯に由来するため、つまり、公侯伯子男の定着する前の、独立王国の名残から、なのでした。辺境伯と通常の伯爵の違いは辺境伯はかなりの程度自治をみとめられていたそうです

 

ではカルカソンヌを支配したトランカヴェル家は?爵位は子爵であったそうです。トランカヴェル家はトゥールーズ伯の封臣でした。が、ナルボンヌやベジエなど経済的な要衝を抑えた大貴族でした。勢力は拮抗し、縁戚関係にもありました。なので、主を主とも思っていなかったようです。これはトランカヴェル家だけではなくこの地の貴族は名目だけ臣下の形をとっていたそうです。そのため、十字軍の襲来に対して、共同で対処することができず次々と各個撃破され滅ぼされていったのでした。

 

トランカヴェル家はトゥールーズ伯とアラゴン王に臣従の誓いを立てていました。つまり二股ですね。中世、こういった事象は珍しいことではなかったそうです。貴族はいろいろな場所に領地をもち、領地を維持するためにはその地域の最大派閥の領袖に足らざる得ませんでした。もちろん、国という概念が生まれる前の頃の話です。

 

日本では武士は二君に仕えずなんて話を聞きますが、これは後世のフィクションであったそうです。フランスにおいても中世は同様にいろいろな主君につかえていたようです。

 

アルビジョワ十字軍がトランカヴェル家の領地を次々と荒らし、最後に拠点であるカルカッソンヌを包囲した時、アラゴン王は十字軍とトランカヴェル家の間にたって仲裁にはいりました。休戦となってトランカヴェル家の当主が十字軍の陣地に出向いたところ捕縛され、そのままカルカッソンヌは十字軍の手に落ちます。その後、十字軍をひきいていたシモン・ドゥ・モンフォールはこのカルカッソンヌを拠点に定め、ラングドック地方を荒らし回ることになります。

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この彫刻はカルカッソンヌ城内の教会内にかざってあるレリーフです。

これは投石機ですね。石をセットしているのは女性です。

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投石機から放たれた石がトゥールーズを包囲し攻城戦をしかけているシモン・ドゥ・モンフォールの脳天を直撃する様子を描いています。

戦争で夫を失った未亡人の石がトゥールーズを包囲し攻城戦をしかけているシモン・ドゥ・モンフォールを倒したという有名な故事に由来するレリーフです。

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全体像です。

写真撮影は禁止なので、文章のみですが、その他の見どころとして、カタリ派への拷問内容を再現したミュージアムもあります。こちらはカタリ派への拷問だけではなく広くヨーロッパ全体を対象に中世を通じて行われた拷問を人形をつかって展示しています。なんていうか、悪趣味です。キャプションを読むと嫌悪を催します。それでも見ておくべき、だと思います。

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シャトー・コンタルは中に入れます。その中からの教会です。

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こちらの塔、日本的に言えば櫓は城内を向いています。領民に対する威嚇ということですね。この突き出した場所から石など投げたそうです。

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とっても中世な感じがしますよね。

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右側がシャトー・コンタル内の住居です。小さそうに見えますが中はかなり広大です。

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カルカッソンヌのお城の位置がラングドック全体を見渡せる絶好の場所に位置しているのがわかるかと思います。

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この城の入り口に突き出た半円形の橋頭堡をバルバカンといいます。

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ここでもランチはカスレを食べます。ただの豆とソーセージの煮込みなのですが、旨い。そして、カルカッソンヌ以外ではほとんどたべられない名物といってもいいと思います。ただし、パリのスーパーで缶詰で売ってます。

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夕方になるとどことなく不穏な寒々しさを感じさせられませんか?

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夜は、UNESCO登録の周年イベント(黄色の塗料)のおかげでむしろ明るいイメージですね。

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とまあ、カルカッソンヌは外観にこそその美の真髄があるというお話でした。

ペイルペルテュース城とケリビュス城、カタリ派の城巡りbyレンタカーその2

さて、ペイルペルテュース城をあとにして、次はケリビュス城へと向かいます。

体力的にはペイルペルテュース城でかなり消耗しています。また、景色は雄大ですが、あの距離を更に車で進むのかと思うと若干、気が滅入るような気もしました。(運転するのは父ですが)

f:id:TACOYAKI:20181226065415j:plain奥の小丘がちょっとした城塞のようになっていますね。このあたりはコートダジュール

を旅行したときのことを思い出します。おそらくは昔から盗賊の被害とかあったのかもしれませんね。で、領主がいなくても村がお城のような形に自然となっていきます。こういうのをバスティーといいます。

 

ここで歴史の話を少々。

 

当時、パリ周辺の北フランスの封建貴族は、日本同様、長子相続制をとっていました。そのため、フランス貴族の次男、三男は聖職者になるか、十字軍に騎士として参加し領土を獲得するか、相続の際に、爵位なしで領地の一部をわけてもらうかしかありませんでした。そういった閉塞した経済環境下で、十字軍への参加は通常であれば出会う機会のない上位の貴族と出会い、そこから交流がはじまり臣従することもあったそうです。

 

ところが南仏のラングドッグ地域はこのゲルマン法の影響よりはるかにローマ法の影響がのこっていたそうで、親の遺産は子供らに均等に相続されました。結果、富の蓄積や戦争による領地獲得で富と権力を集中化させていった北部フランスの貴族とは対象的に、どんどん細分化していったそうです。そんな一部の貴族出身者で爵位も持たず、ほそぼそとした領地をもつだけの小貴族は前述のバスティードに住むようになったのだそうです。

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望遠で拡大したものです。風車が見えます。

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ケリビュス城にだいぶ近づいてきました。

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後ろをふりかえると…この正面の白い岩がペイルペルテュース城です。すっごい距離ですよね。この距離を徒歩であるくのはごめんです。っていうか、車でもすごい悪路です。道路の状態はいいのですが、カーブの連続です。対向車もあります。カーブが急で対向車は対向車線をはみ出し気味です。

プジョーの小型車、日本だとヴィッツくらいのイメージでしょうか、そのくらいのサイズであれば問題はないのですが、SUVに近いメルセデスのワゴンだとすれ違うたびヒヤッとします。

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ケリビュス城の麓につきました。

こんな城を攻めたくはないですよね。

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おそらくは城の入り口まで30分。そこから1時間といったところでしょうか。これ登ってたら一日がおわっちゃいますから、どうしても登りたそうにしている父を説得して、次の目的地、ピュイベール、またはモンセギュールへ向かいます。

 

ただし、事件はこのあとおこったのでした。

 

ああ…このとき無理してでもケリビュス城にのぼっていたら、ケリビュス城で父が疲労困憊していてくれたら‥

 

そもそものことの発端は私が国際運転免許証のはいったバッグを盗まれたことがいけなかったのです。(スリ対策、スリにあったらどうする?どこまで保険でカバーできる?は、特集ページをつくって備忘録として残したいと思います。)そのため、万が一に備えて父にも国際運転免許証をとってもらっていたのですが、父にレンタカーの運転をたのむこととなったのでした。

 

で、ここケリビュス城を出発して、次の目的地へ向かう途中のモリーという風光明媚な村をとおりすぎたときのことです。

 

で、フランスの村々の中は減速のための段差がいたるところにあります。また、道路幅は昔の基準です。メルセデスのワゴンと他の大型車がすれ違うようにはできていないのです。したがって、徐行。もじどおりいつでも急停車できる時速20キロ前後で進まざるを得ない場所がたくさんあるのです。

 

私はなんども注意をうながしていました。スピード出しすぎ!と。ただあんまりしつこくは言えないですよね。私が悪いのですから。  

 

で、父がやらかしてしまいました。縁石にタイヤが乗り、おちてきたときにバーストし、ひどいかたちでパンクしてしまったのです。すぐに駐車場に移動できればよかったのですが、道ぞいに緊急停車です。様子をみたらタイヤがさけていました。

 

ここからが悲劇でした。下はモリーの村です。

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 アモリーという村でロードサービスを待ちます。

携帯はつながるものの、えんえんと待たされます。そして、「45分でそちらに着きます」的なことを言ってきます。が、いつまでもたっても来ません。そこで、まだか?となんども催促します。何度も「そちらにむかっている。そろそろ着くはずだ。」と言われます。蕎麦屋の出前です。

 

結局、まつこと7時間。レッカー車が来て、メルセデス・ベンツをのせていきました。そこからタクシーがきてホテルへと送り届けてくれました。

 

まあ~イライラしますよね。7時間ですよ。私さえ国際運転免許証を盗まれなければ…まあ、もし私が運転していたら…安全運転過ぎて、別の意味で時間ばかりかかって旅程はかわらかったかもですが。

 

ということで大型車に乗りなれている人以外、オートマしか乗れないならフランスでのレンタカー利用は全く進められません。このサイト、過去、レンタカーでラングドックとプロヴァンスを旅行した時の記録も掲載するつもりですが、その時と現在とでは状況が大きく変わっていました。

 

話をもどして…このアモリーという村で7時間すごすことになりました。こんな状況でなければもう一度来たい村でもあります。

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のどかでしょう?ロードサービスに連絡してまあ1時間もすれば再開できるかな?なんて楽観的な気分でいたころ撮りました。

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レッカーでベンツは引かれ、近くのカフェに移動する際の記念にとりました。ホッと一息です。午後7時位かな。

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上の写真を撮った場所から反対側です。T字路です。この村の目貫通りなのですが、カフェやレストランはありますが、ほかは何もありません。

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この左奥の家屋で外にでているのは…ワイン用の樽!ここは小さい村ながらもドメーヌが複数あり、自家でワインをつくっているようなのです。

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ね?

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このTABACと小さくある場所がカフェなのですが、その横の道路の白い矢印。これが減速させるための起伏で、道幅も狭くなっているでしょう?!ここをベテランドライバーの父は減速せずに通過したのでした。私なら逆に減速しすぎで後続車にクラクションならされまくりでしょうけど。

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このカフェでメニューの中から、地元産のワインでおすすめのものをだしてもらいました。レッカー後、ベンツが片付いて、あとはタクシー。どうせ2時間待ちだろう。飲もう…と。

 

開放された瞬間のワインの旨いことといったら。この事件がきっかけにフランスが嫌いになるかときかれたら、それでもやっぱり楽しくてまた来たいです。

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アルコール度数15%。このカロリーヌさんはボルドーから移ってきてワイン造りをはじめたそうです。10ユーロくらいかな。かなり旨いです。

 

このセパージュというのはブレンドのことです。グルナッシュ・ノワール(黒)60%、シラー20%、カリニャン20%とワイン用のぶどうのブレンド比率が書かれています。f:id:TACOYAKI:20181226210005j:plain

おつまみです。名称不明。「となりのおっさんが食べているの料理と同じもの」、といって頼みました。

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このカフェの写真、たくさん撮っておけばよかった。ワインの摘み取りの季節労働者とおもわれる人たちで午後3時位からものすごい賑わいを見せています。ビールがジョッキで3ユーロとパリでは考えられないやすさでした。

 

で、送迎のタクシーは意外に、というかめちゃくちゃ早くきてくれて、そこからカルカッソンヌのホテルまで送ってもらいました。メーターをみると料金は300ユーロだったかな。5万円…とおもっていたら保険がフルカバーだったので負担ゼロですみました。

 

保険って大事です。あとで特集ページつくりますので、フランス行かれる方は一度目をとおしてみてくださいね。

このページ(1と2)のルートです。

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ペイルペルテュース城とケリビュス城、カタリ派の城巡りbyレンタカーその1

カルカッソンヌに宿をとり、この日は朝からレンタカーでカタリ派の城巡りにでかけます。実はカタリ派の城巡りは二回目です。一度目もカルカッソンヌから、そのときはファンジョー、モンセギュール、ピュイベールととても美しいルートでした。今回は逆周りで、カルカッソンヌを出て、ペイルペルテュース、ケリビュスへと向かいます。さて、前回同様、カルカッソンヌでのレンタカーを利用します。が、レンタカー会社のオフィスは市内ではなく、郊外のサルベンザ空港周まで行かなければなりません。タクシーで移動ですが、前回と異なり空港周辺は整備され、大変賑やかになっています。

 

フランスへの観光客がパリだけではなく全土に爆発的にふえているとこいとなのでしょうね。一言でいうと、景気が良いってことですね。

 

で、今回はオートマで中型車をネットで予約しました。ですが実際にでてきたのはメルセデス・ベンツのワゴン。かなり大きいです。ものすごく嫌な予感です。実際、ナビが使いにくいのです。取引先がベンツを公用車につかっているので、多少はインターフェイスを理解できると思いましたが、とにかく使いにくい。そのレンタカーのオフィスにしても最初の1台であったようで、操作方法を聞いてもわかっていないようでした。この辺がフランス的ですよね。

 

「知らね、あんたのほうが詳しいんじゃないの?だから頼んだんだろう?おれは手続きしただけだよ」ってスタンス。

 

最初からベンツ・ユーザーであればよいのでしょうか、国産車から乗り換えたら、うざいですね。サン・テミリオンやペサック・レオニャンにいくときにつかったフォードの方がはるかに運転しやすいです。ベンツの悪口はこれくらいにして…

 

こんな平坦な道をずっと行きます。

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ただし、道幅はそれほど広くないです。

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ボルドーをすぎたあたりからトゥールーズからベジエのあたりまではラングドックと呼ばれる地方です。ラングドックとはオック語という意味で、この辺りは中世、フランス北部のパリ周辺とは言語が異なり、オック語という言語が話されていました。もともとフランス語にはプロヴァンス語やオック語などいろいろな言語がありましたが、法令でオック語プロヴァンス語の使用は禁止されました。

右側の緑はワイン用のぶどうです。

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だんだん山の中に入って行きます。そして道幅が少しずつ狭くなっていきます。これが小型車なら、ドライブも相当たのしいところ。

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ローマ時代の建築物の残骸と思われます。

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これ車内から撮っています。こんな道でいいのだろうか?不安になりますよね。交通量は結構あります。

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途中の村です。

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なんていうか、こんなところまで略奪を目的とする連中(十字軍)がせめてきたなんて感慨深いものがあります。だって、土地がこんな岩盤だらけじゃぶどう(=ワイン)以外つくれませんよね。

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コル・ドゥ・バンカレル(バンカレル峠)496メートルとあります。峠の道ですね。当然、ドライブインとかお手洗いはありません。

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みてください!こんな山の尾根に広がる城塞!

圧巻じゃないですか?!これがペイルペルテュース城です。すくなくとも道に迷ったわけではないことが確認でき、この時、ホッと胸をなでおろしました。カタリ派の城巡り、道中は、日本で言えば、農道に毛がはえたレベルです。この写真は望遠で撮ってます。

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実際は、車を止めて、こんな感じです。攻める方も下っ端は嫌だったんじゃあないかな。どうがんばっても落とせる気がしませんよね。城下に辿り着く前に弓で狙い撃ち必至だとおもいます。

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先程の場所から城に近づき回り込みます。

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城の麓の城下町です。この右奥に城への登山道(?)があります。

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なかなか趣のある町並みです。

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城の駐車場から先程の麓の村を臨みます。どれだけ高い場所にあるかおわかりいただけるかと思います。そして、一番奥の山並み、中央のえぐれている場所から左の山、手前がちょこんと出っぱってますよね。望遠でとると…

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そうなんです!これがケリビュス城なのでした。タムロンの望遠レンズ万歳!これはスマホでは無理です。

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で、振り返ってペイルペルテュース城を登ります。

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右下を見渡すと

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強風がすごくて足がすくみます。

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城の入り口に着きました。

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中は結構、広いです。母です。

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さきほどの写真をとった場所から後ろみると…父です。かなり規模が大きな城だということが伝わりますでしょうか。

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さらにまだ奥に城塞があります。でかいです。

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で、その最奥の城塞からの眺めがこちら。右下の空き地は駐車場です。(無料です。)

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最高です!

ちょっと長くなっちゃいました。続きは次回。

このページ(1と2)のルートです。

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ペサック・レオニャンのワイナリー、パプ・クレマンへ

前々からいってみたかった、ペサック・レオニャンのワイナリー、パプ・クレマンにやってきました。パプ・クレマンは白ワインもつくっていますが、なんといっても赤が有名です。そして、ソムリエ試験の勉強をしていると重要なシャトーとして出てきたりもします。ただし、ボルドーといえば5大シャトー。ペサック・レオニャンではオー・ブリオンが有名です。その影に隠れて知名度の点ではいまいちかもしれません。が、このシャトーの歴史は大変古いのです。

 

だれもがしっているストーリーは、ボルドー司教のベルトラン・ドゥ・ゴがローマ教皇に選出され、このシャトーをボルドー司教区に寄贈したというお話。

 

ですが、現地で話をきくと、もともと、このシャトーはベルトラン・ドゥ・ゴの生家、古くからの貴族ゴ(GOT)家の所有するシャトーだったそうです。その後、ベルトラン・ドゥ・ゴは跡継ぎを残さなかったため、最後の当主となり、ゴ家はボルドー司教区へと寄贈することになったのだそうです。

 

このベルトラン・ドゥ・ゴは世界史を勉強した人なら、とっても有名なローマ教皇になります。1309年、フランスのフィリップ4世によって行われたローマ教皇アヴィニョン捕囚。この最初の教皇クレメンス5世がベルトラン・ドゥ・ゴになります。おもな業績としてフィリップ4世のテンプル騎士団の弾圧に力を貸しました。

余談ですが、その後のアヴィニョンにおかれた教皇庁のフランス人教皇ヨハネス22世はシャトー・ヌフ・ドゥ・パプを開発することになります。

 この先にオフィスがあります。シャトー・ヴィジットの受付は別になります。

 

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左の黒い部分がゲートです。この入ってすぐの左、写真で言えば奥が見学の際の集合場所です。写真をとっているこの広い場所は駐車場です。もちろん、無料です。

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ゲートをくぐると…パプ・クレマンの美しい建物がお出迎え!

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こちらはタンク

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この写真で有名だったります。

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 このオリーブの木、とっても由緒があるんですよ。

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来歴です。

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ローマ皇帝教皇ではない!)ルシウス・セプティウス・セヴェルスの即位を祝って植樹されたもので、今から、なんと、1800年前のものになるそうです。1823年前とプレートには書かれていますね。ルシウス・セプティウス・セヴェルスがリヨン近郊でライバルを破って皇帝に即位したことの記念と書いてあります。とんでもない歴史のふるさを感じさせてくれますよね。

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こちらのシャトーは残念ながら当時のものなではなく何度も改築をされたものです。ちょうど収穫の時期です。トラクターがなんとも違和感を感じさせてくれますね。

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シャトーの直ぐ側にぶどう畑が広がります。

このバラは意味があります。バラは病気に弱いので、ぶどうの木が病気になる前にバラを見て事前に察知し、予防処置をとれるようにするため植えられています。ワイナリーはここにかぎらず、こういう炭鉱のカナリアをおいてますよね。

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ワイン用のぶどうです。酸っぱくてたべられません。

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こちらのシャトーのブドウは手積みです。

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有料の見学コースに申し込みました。なので、いろいろな場所をガイド付きで見学させてくれます。ガイドは英語で説明してくれます。ちなみに無料の見学コースというのはありません。ただ敷地をうろつくらいかな。

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発酵タンクですね。

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あたらしい木樽ですね。

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こんなのも使っています。

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みえますか?教会関係っぽいオブジェですよね。

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面白いですよね。

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貯蔵庫にもいれてもらいました。

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樽に入れられたワインが並びます。

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フランス革命で資産没収されるまでボルドー司教区の所有するシャトーだったということがよくわかりますね。

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ここで試飲かなと思ったら違うのでした。ここは多分、プロのバイヤー用ですかね。

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これはオーナーのベルナール・マグレ氏が所有する他のシャトーとの比較用の土壌のサンプルです。

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圧巻ですよね。

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右からパプ・クレマン、ラ・トゥール・カルネ、フロンバージュです。

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こちらはステンレス製タンクです。

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ここが直営の売店となりのベルナール・マグレ アカデミーです。

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もう、お勉強です!!!

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お楽しみの試飲です。が、「何の香りがしますか?」とか、「マリアージュは何があうとおもいますか?」とか一人ひとり当てられます。もちろん英語で、です。ヒアリングとスピーキングとワインの知識が必須です。かなりハードルの高い試飲です。

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この日のワインです。セカンドはありません。かなり良いポートフォリオだと思います。ベルナール・マグレ氏の所有する他のシャトーのワインやソーテルヌもありました。ここの試飲はネットで事前に予約する必要があります。また、結構、高価です。ですが、ワイン好きの方や歴史好きの方は、いや、違うか、ワイン好きで、かつ、歴史好きの方はぜひとも訪問してみてください。英語力は必須です。当然ですが。

 

所要時間は2時間ですが、あっという間です。このシャトーはベルナール・マグレ氏の旗艦シャトーでもあり、ここのブティックで氏の他のシャトーのワインも購入することができます。また、日本への発送もしてくれます。

 

本当はこのあとワイン畑が離接するシャトー・ピク・カイヨーに向かう予定でしたがナビに関係ないへんな場所へ導かれ、断念しました。

 

ボルドーへいくとせっかくだから5大シャトーへ、という気持ちもわかります。今回、私がそちらへ行かなかったのは、2つの理由があります。

1つ目の理由は大平原で、絵的ではないということ。なので、サン・テミリオンにしました。

2つ目の理由は、日本へ帰ってきても飲める。なんとか手の届く値段のものをよく知りたい、と思ったからでした。パプ・クレマンのセカンドや、残念ながら行けなかったピク・カイヨーなら一本4千円から5千円です。

 

土壌としてもオー・ブリオン、ミッション・オー・ブリオンが隣り合って、さらにそのとなりのピクカイヨー、パプ・クレマンですから、土壌としてはそうとう良いものであることが期待できます。そういう意味でもピク・カイヨー行きたかった(オー・ブリオンとミッション・オー・ブリオンは今は所有者が一緒で、以前、エノテカの広尾本店でセミナーに参加した時に試飲済みなのです。)