フランス 旅行 2010年

パリを満喫

パリに来ました。

前回の続きです。シテ島内のホテルにチェックインしました。

もう何度も来ていますが、パリには他の国にはない独特の魅力があります。

凱旋門

絶対に、何がなんでも来てほしいのが凱旋門ルーブルやオルセーよりも間違いなく外さないと思います。美術品は好き嫌いありますし、並びます。エッフェル塔は常にテロのリスクがあります。

 

しかし凱旋門は…この眺め!しかも…中に入るとひたすら長い階段を登り続けます。火災になれば大変ですが、とにかく人が一箇所にあつまらないため、テロの効率が悪すぎます。建物の破壊すら用意ではありませんん。なので、個人的にテロのターゲットにはなりにくいと思っています。

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この道、マルソー大通りをまっすぐ進むと

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アルマ橋にでます。美しいですよね。エッフェル塔

ケ・ブランリー美術館

その後、向かうはエッフェル塔ではなくケ・ブランリー美術館。ここはお薦めです。なにしろ展示の方法が面白い。おもにフランスの海外植民地で収奪してきた民族文化のコレクションですが、なかなかイマジネーションを掻き立てられます。それからこのケ・ブランリー美術館の屋上のレストラン、実はまだいったことないのですが、いろいろなところで取り上げれています。

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この後は…下水道博物館なのでした。

下水道博物館

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SENS DE LA VISTEは「見学者はこちら」みたいな意味です。

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昔はこの船で地下の下水を攫っていたそうです。想像しただけで気持ち悪いですね。

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これはたしか、レ・ミゼラブルからの1シーンだったと思います。この数年後にミュージカルを映画にしたレ・ミゼラブル、ご覧になった方も多いと思います。最後の下水道での追跡劇、圧巻ですよね。マリウスとかコレットとかジャベールとか懐かしい。

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これは現在だと思います。この球をころがして掃除しているわけですね。

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アンバリッド

出口から、セーヌ河岸を歩くとアンバリッドにつきます。ここは廃兵院といいます。廃兵院、なんのことだかわかりますか?私は大学2年生の時、はじめてフランスにきたのですが、意味がわかりませんでした。地球の歩き方をみると「ルイ14世が傷病兵を収容するために建てた(以下略)」とあります。この説明でわかりますか?病院?って思いますよね。でもとてつもなく巨大な建物です。

 

実は、ここは戦争で傷害が残ってしまった人の残りの人生の面倒を見る場所なのです。日本には軍隊がないため、ちょっとイメージわかないですよね。(あってもこういう施設を準備するかどうかは疑問ですが。)現在はプロバンス外人部隊のそういう施設があります。そこではワインも作っています。

ちょっと脱線しましたが、礼拝堂(円屋根のドーム)にはナポレオンの棺が、建物部分は戦争にかんする資料(古代から近代まで、鎧や刀からマシンガンなどの兵器まで)とにかくとんでもない量の展示物です。

ということでお薦めです。

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この街路灯邪魔です(涙)。

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これがナポレオンの棺です。息子のローマ王も一緒に埋葬されています。

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この辺りの鎧はおそらく、アルビジョワ十字軍の頃、全盛だっと思われます。その後の英仏100年戦争の前半あたりまでは。ちなみにフランス語もイタリア語も騎士のことは馬に乗る人、という意味なのですが、英語のナイトだけ意味が違います。Horsemenではないのです。なぜでしょう?当時、軍馬が少なく、馬で移動し、戦争は馬から降りて徒歩で戦ったからだという説があるそうです。

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完成品だけではなく、つけてた人は即死だろう?と思わせるような破損した鎧も展示してあり、なかなかのリアリティを感じさせてくれます。
長くなりましたのでパート2に続きます。

 

ピュイベール城→レンヌ・ル・シャトー

モンセギュール城を後にして、ピュイヴェール城に来ました。

このピュイヴェール城カタリ派の他の城同様、廃城です。が、この後、何枚も写真を見ていただきますが、とっても美しいのです。我々がイメージするいわゆる中世のお城の遺構をのこしているからだと思います。

 

そして、このお城もカタリ派の城の一つです。といっても城主がカタリ派だったということではなく、アルビジョワ十字軍の侵攻を受けた城という意味です。カタリ派の城巡りと言った場合、カタリ派が拠点としていた城(モンセギュール城やケリビュス城、ペイルペルテュース城などが有名)もあるのですが、そうではなくピュイベール城のようにトランカヴェル家の配下の封建領主として、ま、言ってしまえば、主君の失策の巻き添えをくった城も結構あります。

 

城主はコンゴスト家。吟遊詩人の保護でしられた貴族であったそうです。このお城、通商路の要衝に位置し、かっては多くの人の往来でさかえただろうなあと往時の繁栄が想像できるかのようです。

 

攻城戦はあっという間にかたがつき、わずか数時間で落城したそうです。コンゴスト家は名門でもあるそうですが、他には城をもっていなかったそうで、この城を失い、そのまま歴史の舞台からも消えてしまうことになりました。冷静に考えると、この城で籠城戦に持ちこたえる(投石機に耐える)のが難しいことはすぐわかります。

 

アルビジョワ十字軍の侵攻をうけたラングドックの地にはコンゴスト家のような封建貴族がたくさんいました。殆どが家名断絶となったのですが、一部には上手に立ち回った家柄もありました。降伏でも抗戦でもなく、主をトゥールーズ伯やトランカヴェル子爵から、フランス王家へ直接、臣従を誓うケースなどです。当然、十字軍はフランス王直属の家臣に手を出すわけにはいきません。

 

900年前も今も、生き残りのルールは一緒ですね。何がおこるか予測する技術。殻に閉じこもって嵐が過ぎ去るのとじっと待つというやり方は逆にリスクが高いということかなと。

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上、駐車場からお城を臨みます。下、駐車場からいままで通ってきた城下の方向を臨みます。

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この写真だけみると、ちっちえーなーと思いませんか?&やってのか~?と。

それから衝撃なのは、こんな廃城に入場料取るのか?と驚きました。

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写真ではなかなか伝わらないのですが、実はとっても大きいのです。

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兵(つわもの)どもが夢のあと、といった感じしませんか?

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投石機が打ち捨てられじゃなく、展示されてます。

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投石機の攻撃にはめっぽう弱いだろうなあというのがわかりますね。
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眼下に支配においていたであろう城下を見下ろすことができます。

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崩れかけた塔の上から城の全体像を臨みます。山の稜線の上に作られたことがよくわかりますね。

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訪れる人もほとんどなく、ひっそりとしています。
ですが、いろいろなお城を訪ねたことのあるわたしでも ここは何がなんでも訪れるべき名城の一つだと思います。

 

このあと、レンヌ・ル・シャトーへと向かいます。

 

ここ、レンヌ・ル・シャトー、シャトーはフランス語で「城」という意味です。ちょっと不思議な村名です。ここに赴任してきたソニエール神父が赴任している際に、悪魔の彫像から巻物がでてきて…そこから急に神父の金回りがよくなったことからその巻物はとんでもない価値をもったものか、財宝のありかをしめした宝の地図ではないか、と噂になったことで一躍有名となりました。

 

これ以外にはとくに特徴のない村です。といってもこの小さな村の歴史はとてつもなく古いのです。なんと、西ゴート王国の夏の都だったというのですね。そしてこんな小さな村に、小さな城があります。

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ソニエールの蔵書があつめられていたそうです。

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この悪魔の彫像の中からでてきたそうです。もちろんこの彫像はレプリカです。

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そして、この何の変哲もない田舎家みたいなのがレンヌ・ル・シャトーの城です。その来歴はよくわかっていません。入場もできません。

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個人の邸宅みたいな城ですが、反対側にまわると地形の利を活かした断崖に面しています。

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レンヌ・ル・シャトーの周辺にはシャトー・ドゥ・ブランシュフォールなど不思議な城があります。また、この城のそばにはルーブル美術館にある、プッサンアルカディアの牧羊を描いたとされる場所があり、プッサンは宝の場所をしっていたのではないか、などいろいろな伝説がこの地に彩りを添えています。

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https://www.boutiquesdemusees.fr/ より拝借しました。

この背後の山がこの地、ラングドッグだという説があるのです。

財宝はカタリ派の財宝であったり、ダヴィンチ・コードであれば、イエス・キリストの血脈を記した文書であったりと諸説あるそうです。まあ、ダヴィンチ・コードの話はいくらなんでも荒唐無稽だとは思いますが。