インド+起業=一般社団法人

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その4

さて、郊外の寺院にやってきました。Parvati Temple、パールヴァティーというヒンドゥー教の神様をまつった寺院です。高台の上に寺院はあります。その高台へと続く丘の麓には、砲台らしきものがあります。(が、砲台ではなさそうです。)

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ヤギかな、普通にまちなかをあるいています。このそばに生ゴミの集積所があります。人口が多い上に暑いのですから、すごい臭気なのでした。その生ゴミが餌になっているものと思われます。町は、旧市内のはずれまでくると、かなり汚いです。写真はありませんが、3,4歳くらいと思われる児童が素っ裸で歩いていました。生ゴミはそのまますててあって、異様な悪臭を放っています。で、ヤギはこういう生ゴミを餌としているようです。なので、ふんもいたるところにあります。

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ゆるやかな坂道をのぼっていきます。この塀のせまいところにヤギがいました。どうやってのぼったのでしょう。人が近づいても逃げる素振りもなく、気持ち悪いのですぐ離れます。

途中に猿がいたりします。インドではいたるところに猿がいます。

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さて、頂上にはいくつかの塔があります。いずれも極彩色でとても美しいです。でも、多分、木造だと思います。 

 

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頂上は平地になっており、そこからなだらかな道をすすんで3つの塔へと向かうことができます。まずは、オレンジ色の塔へ。

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インドっぽい感じですよね。中の写真はありません。どんなふうだったけかなあとおおもいだそうとするのですが、どうしても思い出せません。ただ、ヨーロッパの教会のようなつくりにはなっていません。おそらくは入り口が日本の神社のにようになっていたとおもいます。そして、上のオレンジの塔の場合は、底辺の四角い部分だけ、一周できるようになっていたと記憶しています。

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次にやや小ぶりな塔がでてきます。彫刻がとても美しいですよね。

そして、3番めは展望台にかこまれるように立っています。玉ねぎ屋根はなんとなく、ロシアのギリシャ正教っぽくみえたりもします。こちらの塔も同様で中にははいれません。

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さて、この寺院、とてもわかりやすいとおもうのですが、一階が回廊のような部分唐崎にはすすめないようになっています。ここで、イメージとしては日本の神社の賽銭箱なのですが、お金ではなく、花を投げ入れる感じです。そして、この塔を囲む壁(城壁?)があり、その壁の上をあることができるのですが、とても見晴らしが良いのです。

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ちょうどプネの外れに位置しますから、こちらがプネ側になります。見渡す限り大平原ですよね。

手前と中央の低層住宅が並ぶあたり、拡大してみると…

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スラムっぽい感じですね。ただ、インドの場合、スラムというよりは開発に取り残された人たちの居住地域という表現のほうが正しいかも知れません。こういう地域にきちんと統計局の人は統計をとっているのだろうか?ちゃんと出生届や死亡届はだされているのでしょうか?わたしは疑わしいとおもいます。つまり日本でみるインドのデータなんて、推計値に過ぎない。それもかなり程度を推測にたよったデータにすぎないのでは?とおもっています。

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上の写真の右側にみえるのはリキシャです。日本の人力車がその名称の由来だそうです。市内でたくさん走っているリキシャの運転手は殆どが英語が通じません。こういうエリア出身の方が運転されているのであればそれも納得ですよね。そして、かならずぼったくろうとしてきます。ぼったくるといっても本当にたかがしれているのですが、その態度が本当にイラッときます。このあたりは万国共通ですよね。

それにしても屋根が…石をのせているだけ、ですよね。こういう家屋には住所があるのでしょうか?郵便物とかとどくのでしょうか?疑問に思いました。

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こうやってみると、普通の建物群のすぐとなりにスラム(の・ようなもの)があるのが、わかります。もしかしたら開発の順番待ちなのかもしれませんね。そして、川を挟む土地の開発優先順位が劣後するのは日本もインドも同じなのかも知れませんね。

再びプネの旧市街中心地にもどってきました。さきほどのパールヴァティー寺院とことなり道は結構、きれいです。

 

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この今にも倒壊しそうな建物群が、逆に新鮮ですよね。

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下の写真、椰子の実のジュースのスタンドです。普通の店舗の前の路上にリヤカーで引っ張ってきて開店しているような、なんというか、極めて原始的な商売の形をみているかのようです。きっと仕入れ値は相当低いんだろうなあと思いながら、どんな味かなとおもって買ってみました。お腹大丈夫かな?とおっかなびっくりでしたが、私は大丈夫でした。ですが個人差や地域差もありますから、このブログをお読みの方はこういうのは慎重に!

盲点かもしれませんが、椰子の実は水道水とは関連がありません。椰子の実を叩いて、そこにストローを刺すだけですから実は、かなり安全なのかもしれません。

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この辺りは人だかりが、もう、すごいのです。

いかにも旧市街を連想させるような建物ですよね。たしか、昔の銀行かなにかのあとだったと記憶しています。中国のマカオにはこういう感じの建物が結構のっていたりします。プネではすこしめずらしいかもしれません。

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インドのおやつです。とってもおいしいのです。カレーにパンとネギとベビースター的なお菓子の組み合わせです。とっても安いです。奥にみえるのはもちろんカレーです。とっても辛いです。このセットでたしか100円しなかったと思います。ちなみに左側のオレンジの物体は、日本のベビースターの激辛版みたいなものです。といってもそれほど辛くもありません。人によってはこれをパンにはさんでたべたりしていました。

こちらは、サトウキビを絞ったジュースのスタンドです。その場で搾りたてのフレッシュなサトウキビのジュースが買えます。いい香りがするんですよ。

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おそらくはイギリス植民地時代の建物を転用したとおもわれる市場です。

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市場は昼間は一日中、やっているというか、露店商が売り物を広げています。スバイスであったり、紅茶の茶葉であったりいろいろあります。

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ということで、明日はプネからアジャンタ・エローラ石窟院に向かいます。

昔のプネの王宮後のシャニワール・ワダ(shaniwar wada)からパールヴァティー寺院(Parvati temple)への位置関係は以下の通りです。

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シャニワール・ワダからリキシャに乗る前に近くの英語を話す人に、だいたいいくらくらいかかるのか聞いてからいったのですが、当てになりません。というか、外国人とみると必死でボッタくろうとします。が、タクシーをチャーターすると更に高額な費用がかかります。もし、個人旅行で行かれる方はその当たりは事前にリサーチしたほうがいいかもしれません。観光客にはあまり親切とは言えません。街自体も郊外で大きくIT都市として発展していますが、プネ市内はスラムっぽい雰囲気となんとなく英国植民地時代風とさらになんとなくローカルテイスト風が合わさっていて、車窓からみたらおもしろそうですが、個人で観光となると移動手段がありませんので、かなり苦労することになります。もう一度、知人や家族を連れて行く機会があるなら、私でしたらリムジンをチャーターします。リキシャをまったり、値段の交渉をしたりという必要がないので、かなり時間は有効活用できるはずです。ただし、このカオスな雰囲気がおもしろい、という方であれば、リキシャは写真を取りながら移動できますし、写真をとったらお金を請求されることもなくすぐ移動ですから、これはこれでありですよね。

 

 

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その3

 どういうビジネスプランであったか、ここでは詳細を省きます。とりあえず、プネ市内をビジネス目的で訪問しました。

 

そして、前日の料理教室の後、やってきたのが、ヨガ教室です。

なんと書いてあるのか、全くわかりません。電話番号とか料金とか営業時間とか、なのでしょうか?あまりに媚なさすぎてチンプンカンプンです。

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本場のヨガは体操でした。もしかしたら日本のスポーツクラブでよくみるエアロビのようなものかもしれません。許可をとって撮影させていただきました。大変活気のあるヨガ教室でした。

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さて、翌日、プネー市内で次は、なにしろはじめてのプネーですから、何があるのか、しっかりチェックしておこうと主要な観光スポットをまわります。

Chattushirigi Temple チャッツシュリジ寺院とよでも発音するのでしょうか、にやってきました。

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インドは人口爆発中ですから、すごい人だかりなのです。どこにいっても人、人、人。

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そして、外国人観光客、本当にいないのです。そして…当時の写真をみていて気づくのですが物乞いもいません。これがムンバイやデリーにいくとたくさんいるのですが、プネーでは、経済的発展がすごいですからね。やる気さえあれば、ということなのかもしれません。

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上の写真のテントといか、露天ではこの寺院でお祀りしている神様にお供えする花を売っています。インドにもいろんな神様がいます。で、プネーはどちらかといえば観光地ではないので、英語の案内は私が訪問した際はほとんど見ませんでした。外国人観光客自体、ほとんどいません。なので仕方ないといえばそれっきりなのですが…ヒンドゥー教の神様についてしっておくのといいのかもしれません。

 

それにしてもインドを旅行してきて、よかったのが、ムンバイ以外の街では、外国人観光客は目立つはずなのに、放っておいてくれること。「どこから来た?」とか頼みもしないのに英語でガイドしてくれたり、はてにはガイド料をくれと、物乞いみたいなことされたり、そういうのがあるからヨーロッパ以外の地域への旅行はなかなか煩わしいと感じるとが多いのですが、プネーではそういう思いは全くしませんでした。

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上のお土産屋さんも、参拝客のお供え用です。買って、それをお参りしてい本殿に捧げます。

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 多分、ものすごく安いのだろうけど、まったく英語、通じないだろうし、万が一、美味しくなかったとしたら荷物が増えちゃうだけなので、見るだけ…。ただ、なんとく甘い物ではなかろうか?そんな気がします。

 

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ちょうど本殿でのお参りの後です。

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お参りのための長蛇の列です。でも、この日はとくにこの寺院のお祭りの日、というわけでもなかったと思います。私もわけも分からずにこの列にならんだのでした。ただ、遊園地のアトラクションとかとことなり、列はするする進みます。

 

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チャッツシュリジ寺院を後に、プネ観光の一応のランドマーク的存在、シャニワー・ワーダー(shaniwar Wada)に来ました。ワダではなく、ワーダーと伸ばすそうです。しかも、ウィキで調べてていまさら気づいたのですが、プネではなく、プネーなんだそうです。現地ではプネ、と発音していたような気がしましたが。

 

上の写真が城門です。ムンバイから入ってプネにくると、旧市街というのはまあ、そこそこ見たりするのですが、いわゆる土着の、例えばヨーロッパを旅行すると目にするような封建制の名残としての城塞的なものをほとんどみることがありません。まるで、最初から共和国だったっけ?と。ですが、実際は、インドは英国に併合されるまではその歴史をみると戦乱の歴史でもありました。世界史を勉強した人ならムガール帝国というのがインドを支配していたことを、なんとなく思い出しませんか?ムガール帝国は英国の植民地として、後には英国によって滅亡させられインド帝国としてとって替わられました。

 

上の写真の城門のすぐ上の櫓というのでしょうか。見晴台です。なんだか西洋のお城みたいですよね。そこにオリエンタルの要素のような。アジアと言うより西洋ですよね。とっても好感が持てます。

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ここ、デッカン高原は日本で言えば軽井沢のような高地にあります。こんな高いところでまで、しかも、ものすごい暑さと湿気の中、当時の英国の軍人は鉄砲をかついで行軍してきたのかとおもうと…不思議ですね。どんな意味があって、当時はおそらくなにもなかったであろう地方都市を後略したのでしょう。その見返りはあったのかな?あるいは当時はもっと現在とは価値基準がことなりますから、価値があったのでしょうか?いろいろ疑問におもってしまいます。ただ、この地の人にしたら、自分の国と英国に外交関係があって、それがもつれて宣戦布告というのであればともかく(それでも戦争は反対ですが。)これは、単なる侵略ですよね。しかも居座り強盗なわけです。日本は幸い、そういう経験をしたことはありませんが…

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立派な城門ですが、戦争となったら大砲の前には為す術もないのでしょうね。

 

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内部は廃墟、じゃなかった公園です。美しく整備されています。

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多分、正面に宮殿があったのでしょうね。再建してくれてたら当時のイメージも湧くのですが。これはこれで美しいとは思いますが、城門が立派なだけにちょっとガッカリ感はしますよね。

 

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先程の城門を反対側からみるとこんな感じです。
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城壁の外は繁華街なのです。

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ムンバイは車社会ですが…この狭いプネ市内はリキシャやバイクが大活躍です。

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旧市街の中心にこのシャワニール・ワーダーは残っています。その周囲は交通量も多く大変活気にあふれています。上の写真は駐車場に面した城壁です。なんという木かはしりませんが、巨大です。城壁の規模感も伝わるとは思いますが、ただ、これだけの巨大都市です。このシャワニール・ワーダーにしても、領主の館か行政府くらいの位置づけに過ぎなっかったのかもしれませんね。

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ちょっぷりダサダサな独特の様式の建築がインド的ですよね。見どころというほどのみどころは無いのですが、主要な場所は旧市内の中心地。つまりシャワニール・ワーダーの周辺にあります。そして、ページを改めて紹介しますが、高台の寺院は徒歩ではいけません。タクシー、またはリキシャでの移動となります。

 

それにしてもお気づきかもしれませんんが、観光客向けのお土産店というのは殆どありません。多分、皆無です。これは旧市街だけでなく新市街にいっても同様です。このあたりがインドの不思議なところでもあります。シャワニール・ワーダー内にもジュースの自動販売機一つないのです。(すぐそとではスイカをうる屋台はありましたが)もちろん、コンビ二もありません。なので、割と道路がきれいなんですよね。

 

そして、英語はほとんど通じません。誰だ!インドは英語が母国語だなんてほざいていたのは(笑)?ちなみにプネーにはプネー大学があり、そこには日本語学科があるそうです。

 

こういう市街をあるくとき気をつけたいのは日本と違って車はとまってくれません。信号のないところを渡るときは注意が必要です。

 

 

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その2

プネ市内ではマガルパッタシティを訪問します。

ここはシティというだけあって、この中だけが外界を隔たれた町を形成しています。下の写真が入り口なのですが、区画全体がフェンスで囲まれています。

フェンス内部には、病院、映画館、住居棟、オフィス棟があります。

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下の写真の左側のボックスが検問所というが入り口です。もちろんガードマンがいます。

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日本の人力車がその由来といわれるリキシャは中には基本、入れません。

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これ、実際に行ったのはかなり昔なんですが、あれ、インドってこんなに近代的だっけ?って思っちゃいますよね?

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このフェンスでかこまれたシティの外はどうなっているかというと、

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我々のよく知るインドがそこにはあります。そこかしこに「女の子を救おう」という看板があります。これ。どういうことか聞くと、インドでは男子が跡取りとして重宝されるので女児がうまれるとそのまま放ったらかしにして、最悪の場合…ということが(当時ですが)頻繁にあるのだそうです。継がせる家があるような金持ちだけの話しかとおもいきや、貧しい世帯であっても同様に男子のみを待望するのだそうです。で、結局、この後、アジャンタ・エローラの石窟寺院に行くときにも言及しますが、バスでの交通手段しかない町へ、バスで移動すると停留場は宿場というのでしょうが、かなりの賑わいがあるのですが、そこには男性しかいないのです。

一面、若い男性ばかりというのは気持ち悪いです。インドは女児の命をあまりに軽視する一方でレイプの犯罪も頻発しています。女性の一人旅は、お勧めできません。

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フェンス外のいわゆる古いインドも急速に都市化を始めているので、下の写真のような素敵なマンション群が建設中なのですが、逆に、その土地のもともともつ因縁というか、由来というか、特性がきえてしまうのって、いくらよその国のお話とはいえ、すこし怖いですよね。

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先程のフェンスで囲まれた区画の中の企業を訪問しました。研修室です。なんが語学学校みたいな雰囲気ですよね。

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普通によくある海外の会社って感じですよね。下の写真は、なんと、社員食堂です。インドの企業文化はかなり日本を真似しています。ものづくりの現場におけるそれはわかるのですが、ITであっても、日本のものづくりで学んでインドで創業している企業のカルチャーを受け継いでいると思われるシーンにでくわすこと、多いです。

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こちらがメニューです。インドの企業は社員食堂があるのが一般的です。もちろん、地域によります。が、そもそもインド関連で起業しようとおもったきっかけとなったインド旅行はチェンナイでしたが、チェンナイの企業にも社員食堂がありました。メニューは、ベジとノンベジとすくなくとも2種類に対応しています。もちろん、自宅から持ってきている人もたくさんいます。企業によってはビュフェ方式をとっているところもあります。そこは人員の規模にもよりますが、オフィス外での飲食のスペースが屋台形式のものに限られる地域も多く、また、インド人にとっても、暑いものは暑いということらしく、経済合理性がはたらいているようです。

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美味しそうですよね。

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ちなみにキーマカレーはこのデカン高原の町、プネではほとんどお目にかかることはできませんでした。肉は貴重なんですね。油と炭水化物。これでうまいビールがあったら大変です。

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再び、マガルパッタシティを出て、プネ市内に戻ります。

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株式公開している超大企業、もちろんIT系を訪問します。

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この企業の周辺はさぞかし立派な工業団地とおもいきや…ちょっとびっくりですよね。大体4種類くらい。上の写真のようなスラムっぽい雰囲気、ふるい朽ち果てたようなつる草の絡まる集合住宅、高級住宅、高級マンション。そんな感じでしょうか。

上の写真から判断するに、この企業の立地はもともとスラム、といっていい場所だったのかも知れませんん。結局、こういう場所を地上げして更地にして、おっきなオフィスビルを作るのがコスト的に手っ取り早いのかもしれません。この企業はインド各地にたくさんの拠点を持っています。

下の写真は、料理教室を開催されているお宅に見学にお邪魔しました。

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お料理教室のキッチンです。実は外見はぶっちゃけボロそうなつくりなのですが、中は以外とコンパクトに小部屋が配置されて快適そうなつくりだったりします。

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サンプルとしてひとつ試食させていただきました。この地方のスナックです。郷土料理っていいと思います。かなり美味しいです。

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ひとつじゃなく、二ついただいたのでした。

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まちなかにはいつも、ではありませんが、こんな感じで普通にゾウがいます。当然、写真とったらお金請求されます。

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基本、インドは何やってもたかられます(=お金を要求されます)。もちろん、払う必要はありません。要求する側もダメ元でやっているのでしょうね。その割にはしつこいです。

はじめてのインド旅行を個人で恋人同士でいくことはまるでおすすめできません。とにかく人がたくさん。そして、親切そうに話しかけてきて、お金を撮ろうとします。すりではないのでフランスとまた、違った注意が必要です。

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その1

インド絡みで起業するためにインドに行った話

実は、インド関連で起業をしています。

(このブログ、ほぼ実名ですが、完全にオープンにしたくもないので、一部、曖昧な表現でぼかしてたりしますが、そこはどうかご容赦くださいね。)

当時、ムンバイに行くにはANAのビジネスジェットしかありませんでした。ビジネスジェットっていうくらいだから、ビジネスの設定しか無いんだろうなあとおもっていました。ところがCAさんに聞いたら、「後ろのほうにエコノミークラスもございますよ!」とのお話。これには腰が抜けるくらい(まだ、抜けたこと無いけど)びっくりしました。

ということでお約束のビジネスの食事。昔の話です。これから旅行する人にはあんまり参考にならないかも、です。

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なんか、これからインド行くってかんじじゃないよね。

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当時、JALはムンバイへはとんでおらず、また、ANAはデリーへの直行便がありませんでした。今は…しりません。

で、よくよく考えればカタール航空を使えば、快適にしかも格安でムンバイへいけるのですが、当時は、まっすぐな思いで、ANAのビジネスクラスでムンバイへとむかったのでした。ちなみに8時間くらいでつきます。機体は小さく、ビジネスといっても、食事だけ、って感じでした。ANAはラウンジになんにもなくて、乗るたびに思うのですが、がっかりします。ま、マイレージでいくにはちょうどよいのかもしれません。

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最高だったのは外の風景。

これは多分、インドとミャンマーの国境おの山脈だとおもいます。

ウィキペディアをみててはじめしりました。

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バングラデシュとミャンマーの間にインドがあるんですね。飛び地?あるいは北部でインドつながっててバングラデシュを囲むようにあるのかな。

もともとインドとパキスタンとバングラデシュは英領インド帝国で一つの(植民地)国家でした。

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もう、この写真が取れただけで感動でした。ビジネスにのってムンバイ直行便にのった価値がわたしにはありました。

ちなみに、この前年にエアー・インディアでデリーにいったことがあるのですが、そのときはルートが違うんですね。着も深夜ですし。

そして、ムンバイについたらプネーに向かいます。8時間とはいえ、ムンバイには午後8時ころだったかな?到着した記憶があります。着陸はムンバイの市街をとおります。夜なのですが、碁盤目のようにわりと区画割がされており、その家々は暗いのですが、街路がしっかり明るく照らされているため、とても不思議な感じがします。ムンバイにつくと知人に事前に知人に手配してあった車(乗りあいタクシー)でプネー市に向かいます。当時、ムンバイ空港の周囲は大規模な土木工事中でした。ものすごい大渋滞なのでした。空港周辺を抜けるのに1時間、その後は市内の普通の道を縫うようにして、プネー市のあるデッカン高原へのハイウェイを目指します。当然、何百キロもはなれていますから、午後8時ころに出てもたしかホテルにチェックインしたのは深夜2時過ぎでした。下の写真からもわかるようにわりと一流ホテルではありますが、乗り合いタクシーの運転手がホテルの位置、わかるのだろうかと思っていましたが、プロなんですねえ。プネ=ムンバイ間は常に乗り合いタクシーで移動したので、このあと、何度もお世話になるのですが、ここはもっとも安心できました。

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少し、乗り合いタクシーについて補足します。

ムンバイからは、これがアドベンチャーなのです。空港について、ムンバイから目的地のプネまでは車でむかいます。予算は抑えめでつたえてあったので、乗り合いです。赤の他人と後部座席に3人です。そのタクシー乗り場といっても、普通に駐車場にとまっている車へむかうのですが、その途中、荷物を持とうとてくれます。荷物をもたれるとしつこく喜捨(バクシーシ)だったかな?たかられます。私はアジアとか中近東は(昔、シリアを一人旅したことがありますが)これがあるから嫌いです。遠慮してもスーツケースを持とうとよってきます、というよりたかってきます、という表現がぴったりします。ムンバイは本当にムシムシして、夜間でも暑いのです。本当に毎回、イラっとさせられたものです。

ムンバイからプネまでは6時間位かかったと思います。 なにしろ、ムンバイ空港の渋滞から抜けられないんですね。ものすごい車です。人です。そして、長時間、長距離です。

途中でドライブインのようなところに泊まります。英語がほとんど通じませんから、何時まで休憩タイムなのか、さっぱりわかりません。おいてかれたらアウトですよね。(向こうもお金とって商売している以上、しかも目立つ日本人。そんな心配はいりませんでしたが。)

そんなこんなで繰り返しになりますが、ホテルのチェックインは深夜というか早朝です。部屋、キャンセルされてたらどうしよう?とか思いましたがなんてことはない。ホテル側はよくわかっていたみたいでした。

 

ただ、毎年、ムンバイから深夜に入っていたのですが、年毎に改善されています。空港周辺の渋滞はハイウェイが整備され、かなり改善されました。空港自体もあたらしい近代的デザインの空港がいまではオープンしています。この経済効果はすごいと思います。おそらく、いつかは、ムンバイ=プネー間もシャトル便が整備されるのかもしれません。