インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その4

さて、郊外の寺院にやってきました。Parvati Temple、パールヴァティーというヒンドゥー教の神様をまつった寺院です。高台の上に寺院はあります。その高台へと続く丘の麓には、砲台らしきものがあります。(が、砲台ではなさそうです。)

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ヤギかな、普通にまちなかをあるいています。このそばに生ゴミの集積所があります。人口が多い上に暑いのですから、すごい臭気なのでした。その生ゴミが餌になっているものと思われます。町は、旧市内のはずれまでくると、かなり汚いです。写真はありませんが、3,4歳くらいと思われる児童が素っ裸で歩いていました。生ゴミはそのまますててあって、異様な悪臭を放っています。で、ヤギはこういう生ゴミを餌としているようです。なので、ふんもいたるところにあります。

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ゆるやかな坂道をのぼっていきます。この塀のせまいところにヤギがいました。どうやってのぼったのでしょう。人が近づいても逃げる素振りもなく、気持ち悪いのですぐ離れます。

途中に猿がいたりします。インドではいたるところに猿がいます。

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さて、頂上にはいくつかの塔があります。いずれも極彩色でとても美しいです。でも、多分、木造だと思います。 

 

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頂上は平地になっており、そこからなだらかな道をすすんで3つの塔へと向かうことができます。まずは、オレンジ色の塔へ。

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インドっぽい感じですよね。中の写真はありません。どんなふうだったけかなあとおおもいだそうとするのですが、どうしても思い出せません。ただ、ヨーロッパの教会のようなつくりにはなっていません。おそらくは入り口が日本の神社のにようになっていたとおもいます。そして、上のオレンジの塔の場合は、底辺の四角い部分だけ、一周できるようになっていたと記憶しています。

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次にやや小ぶりな塔がでてきます。彫刻がとても美しいですよね。

そして、3番めは展望台にかこまれるように立っています。玉ねぎ屋根はなんとなく、ロシアのギリシャ正教っぽくみえたりもします。こちらの塔も同様で中にははいれません。

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さて、この寺院、とてもわかりやすいとおもうのですが、一階が回廊のような部分唐崎にはすすめないようになっています。ここで、イメージとしては日本の神社の賽銭箱なのですが、お金ではなく、花を投げ入れる感じです。そして、この塔を囲む壁(城壁?)があり、その壁の上をあることができるのですが、とても見晴らしが良いのです。

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ちょうどプネの外れに位置しますから、こちらがプネ側になります。見渡す限り大平原ですよね。

手前と中央の低層住宅が並ぶあたり、拡大してみると…

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スラムっぽい感じですね。ただ、インドの場合、スラムというよりは開発に取り残された人たちの居住地域という表現のほうが正しいかも知れません。こういう地域にきちんと統計局の人は統計をとっているのだろうか?ちゃんと出生届や死亡届はだされているのでしょうか?わたしは疑わしいとおもいます。つまり日本でみるインドのデータなんて、推計値に過ぎない。それもかなり程度を推測にたよったデータにすぎないのでは?とおもっています。

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上の写真の右側にみえるのはリキシャです。日本の人力車がその名称の由来だそうです。市内でたくさん走っているリキシャの運転手は殆どが英語が通じません。こういうエリア出身の方が運転されているのであればそれも納得ですよね。そして、かならずぼったくろうとしてきます。ぼったくるといっても本当にたかがしれているのですが、その態度が本当にイラッときます。このあたりは万国共通ですよね。

それにしても屋根が…石をのせているだけ、ですよね。こういう家屋には住所があるのでしょうか?郵便物とかとどくのでしょうか?疑問に思いました。

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こうやってみると、普通の建物群のすぐとなりにスラム(の・ようなもの)があるのが、わかります。もしかしたら開発の順番待ちなのかもしれませんね。そして、川を挟む土地の開発優先順位が劣後するのは日本もインドも同じなのかも知れませんね。

再びプネの旧市街中心地にもどってきました。さきほどのパールヴァティー寺院とことなり道は結構、きれいです。

 

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この今にも倒壊しそうな建物群が、逆に新鮮ですよね。

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下の写真、椰子の実のジュースのスタンドです。普通の店舗の前の路上にリヤカーで引っ張ってきて開店しているような、なんというか、極めて原始的な商売の形をみているかのようです。きっと仕入れ値は相当低いんだろうなあと思いながら、どんな味かなとおもって買ってみました。お腹大丈夫かな?とおっかなびっくりでしたが、私は大丈夫でした。ですが個人差や地域差もありますから、このブログをお読みの方はこういうのは慎重に!

盲点かもしれませんが、椰子の実は水道水とは関連がありません。椰子の実を叩いて、そこにストローを刺すだけですから実は、かなり安全なのかもしれません。

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この辺りは人だかりが、もう、すごいのです。

いかにも旧市街を連想させるような建物ですよね。たしか、昔の銀行かなにかのあとだったと記憶しています。中国のマカオにはこういう感じの建物が結構のっていたりします。プネではすこしめずらしいかもしれません。

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インドのおやつです。とってもおいしいのです。カレーにパンとネギとベビースター的なお菓子の組み合わせです。とっても安いです。奥にみえるのはもちろんカレーです。とっても辛いです。このセットでたしか100円しなかったと思います。ちなみに左側のオレンジの物体は、日本のベビースターの激辛版みたいなものです。といってもそれほど辛くもありません。人によってはこれをパンにはさんでたべたりしていました。

こちらは、サトウキビを絞ったジュースのスタンドです。その場で搾りたてのフレッシュなサトウキビのジュースが買えます。いい香りがするんですよ。

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おそらくはイギリス植民地時代の建物を転用したとおもわれる市場です。

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市場は昼間は一日中、やっているというか、露店商が売り物を広げています。スバイスであったり、紅茶の茶葉であったりいろいろあります。

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ということで、明日はプネからアジャンタ・エローラ石窟院に向かいます。

昔のプネの王宮後のシャニワール・ワダ(shaniwar wada)からパールヴァティー寺院(Parvati temple)への位置関係は以下の通りです。

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シャニワール・ワダからリキシャに乗る前に近くの英語を話す人に、だいたいいくらくらいかかるのか聞いてからいったのですが、当てになりません。というか、外国人とみると必死でボッタくろうとします。が、タクシーをチャーターすると更に高額な費用がかかります。もし、個人旅行で行かれる方はその当たりは事前にリサーチしたほうがいいかもしれません。観光客にはあまり親切とは言えません。街自体も郊外で大きくIT都市として発展していますが、プネ市内はスラムっぽい雰囲気となんとなく英国植民地時代風とさらになんとなくローカルテイスト風が合わさっていて、車窓からみたらおもしろそうですが、個人で観光となると移動手段がありませんので、かなり苦労することになります。もう一度、知人や家族を連れて行く機会があるなら、私でしたらリムジンをチャーターします。リキシャをまったり、値段の交渉をしたりという必要がないので、かなり時間は有効活用できるはずです。ただし、このカオスな雰囲気がおもしろい、という方であれば、リキシャは写真を取りながら移動できますし、写真をとったらお金を請求されることもなくすぐ移動ですから、これはこれでありですよね。

 

 

新国立劇場のこつこつプリジェクト「リチャード3世」を見てきました。

先日、新国立劇場でシェークスピアのリチャード3世を見てきました。といっても、一年かけて舞台として完成させていこうというプロジェクトでその名も「こつこつプロジェクト」。

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その経過を公開するという小劇場でのショート・プログラムでした。リーディング公演ってなんなのでしょう?もしかしたら朗読会みたいな感じなのかな?と思っていました。

たしかに台本的なものを手にとって、朗読会の形式を踏襲しているとは思いますが、実態は…素晴らしい舞台でした。

ネタバレ含むけど、まあ、見に行けば出オチだからいいよね。

ってことで、今回のリチャード3世はびっくり!だって…タイトルロールが女性なんです。

しかも…(まだまだいろいろな工夫がされています。それはお楽しみ!)

そして…今回はなんとヘイスティングスが死ぬところまで、つまり途中で終わりです。そのヘイスティングスの処刑される直前のセリフ「私の死を笑うものもまた、いつか同じ運命に見舞われるのだ」のシーン、傍らでとっても美女なリチャード3世が腹を抱えて笑うところで幕を閉じたのでした。必見です!

痺れました。美女?悪人=最高!(みるだけなら。)

新国立劇場は演劇も芸術監督が代わって、しかも、演目に毎年たのしみにしていた中劇場のシェークスピアがなくて、今年はかわりにギリシャ悲劇で…ものすごく心配だったのですが、杞憂であることがわかりました。ちなみに、リチャード3世、もし、見に行こうとおもったら、どこで上演されるか?どこのプロダクションか?にかかわらず原作は読むか、すくなくとも実際の歴史はすこし調べるなどして理解しておくと一層楽しめます。というのも登場人物が多いのです。そして…シェークスピア劇全般にいえることですが、小さなお子さんの同伴は避けた方が無難です。シェークスピア=上品とイメージしている人がいるらしいのですが、実際はまったく逆だったりします。結構、卑猥なジョークもあったりするのです。そういう意味でも、もし、シェークスピアをみにいくなら原作に目をとおしていくのはおすすめです。

 

そして、6月はオレステイア。チラシのインパクトが強過ぎます。

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この主人公オレステイアは上のチラシの羊のとなりの少年になります。主人公オレステイアのお父さんはアガメムノンです。アガメムノンは…そう、トロイ戦争でギリシャ軍の総大将ですね。

 

ギリギリのところで辛勝したトロイ戦争から、財宝たっぷりでアガメムノンはかえってくるのですが、何年にもおよぶトロイ戦争の間に奥さんのクリュタイムネストラは、実は浮気をしてしまうのです。そして、夫のアガメムノンがかえってきたら、浮気相手と共謀して、アガメムノンが風呂にはいるときに後ろから斧で、きりつけて殺害します。

 

王宮は母と浮気相手に乗っ取られ、アガメムノンの帰りをまっていた王子のオレステイアは追放されます。そこから始まる復讐劇。ギリシャ悲劇ってどうなんだろう?って私は思っていました。ですが、この新国立劇場で上演されると聞いて、はずかしながら私もそれから買って読みました。いがいや以外、シェークスピアよりかなりテンポよく話は進みます。

 

ただし、ギリシャ悲劇はその多くが、「トロイ戦争」の出来事が起点となっていることが多いです。なので、トロイ戦争を知らないと、もちろん、注釈があるのですが、それでもかなりわかりにくいというか、感情移入しにくいかもしれません。

 

ということでもし、ギリシャ悲劇、よんでみようかなという方がいたら、まずはホメロスの「イリアス」を一読することをつよくおすすめします。どこの図書館にもおいてありますし、岩波文庫でも買えます。

 

そんな暇ないという方のためにここで無謀にもすこしまとめてみたいと思います。

 

トロイ戦争というとどうしても昔のブラッド・ピッドのトロイを思い浮かべる人、多いとおもいます。このトロイという映画、実は大事な点がかけていて物語の面白さの本質を伝えそこねているのです。

 

イリアム(=トロイの別名)の面白さは、「ホメロス」が書いた「イリアス」でなければというのが私の考えです。で、ホメロスのイリアスが異常に面白い、その異常な点が、オリンポスの神々が戦争に参加していることにあるんです。

 

トロイ戦争というとトロイの木馬でギリシャ側が勝ったというイメージだと思いますが、実際は攻め手のギリシヤ側はギリギリまで追い詰められます。どうしてもギリシャ側に勝たせたい女神アテネはギリシャの武将ディオメディスに加勢します。そのシーンはまるでSFです。時間をとめ、ディオメデスにだけ姿をみせて、こう言います。「戦車の手綱をにぎろう。この戦場にいる神々と人間の区別がつくようにしてやるから神々を鉾を交えるな」と。実際にはアフロディーテに恋する軍神アレスと戦場で戦い、なんと打ち負かします。(といってもギリシャの神は死なないのです。)

 

ドイツのシュリーマンは子供のころ、イリアスが好きでトロイの発掘に着手し見事に発見したことで有名ですが、あのSFを読んで、実際にあったと思うこと自体、ナンセンスなくらい、人間と神々が入り乱れたとてもおもしろいお話なのです。

 

そのトロイ戦争のきっかけとなったのは「パリスの審判」。フランスワインと米国ワインが対決したイベントでつかわれることもありますが、もともとは、トロイの王子で、ギリシャ世界で一番の美男子パリスに3人の女神の中で誰が一番美しいか、きめてもらおう、その王子パリスによる審判が由来なのです。そして、3人の女神はそれぞれ自分を選んでくれたら…と対価を約束します。アテネは武功、ヘラは財産(だったかな)、アフロディテは美しさを。パリスはアフロディテを選び、スバルタ王、メネラオスの妻、ヘレネを受け取ります。つまり、トロイへ連れ去り、戦争がはじまります。(ギリシャの神々と約束をしたら、破ることは許されません。)ヘラもアテネも当然、パリス憎しで、ギリシャ側に付きます。もちろん、アフロディーテはトロイ側にたちます。他の神々も人間と一緒になって戦場でほこを交えることとなります。

 

で、アキレスがトロイの王子ヘクトルを打ち取り、パリスが放った矢をアポロンがアキレスのアキレス腱へとあてることで有名な二人の英雄は舞台をさります。

 

その後、ギリシャ側が撤退したと見せかけて、ギリシャはその陣に木馬を残していきます。そこにトロイ軍がきて、戦勝記念にもちかえり城内に運び入れ…そこからさきは皆さんご存知のストーリーですが、なぜ、そんな見え見えの手にひっかったのでしょう。そこもアテネが絡んできます。

 

そして、トロイ(=別名イリアム)陥落の大混乱の夜、王族の一人、アエネイスは父親と息子を両脇にかかえなんとか脱出します。ほかに逃れてきた人たちをまとめ、安住の地をめざして放浪の旅を続けるのがその続編、ローマの詩人ヴェルギリスによってかかれた「アエネイス」の内容になります。

このアエネイスではアテネは怒りの矛先を収めますが、ヘラは執拗にトロイの生き残りのアエネイス一行を苦しめます。(最後の方に唯一無事、領地に帰れたディオメデスも登場します。)

このアエネイスや、ホメロスの「ユリシーズ」こちらはギリシャ側の智将オデュッセウスが苦労してやっと自分の領地イタケー島に帰る話ですが、これらのストーリーと書かれた時代は全然別ですが、内容的なタイムラインがかさなっているのが、アイスキュロスのオレスティアになるのです。

 

トロイ戦争のきっかけをつくったメネラオスや、ヘレンも登場してとってもおもしろいです。最後まで因果が絡む悪夢の連鎖な復讐!

 

ギリシャ神話が成立したこと、当然といえば当然ですが、罰則はあっても法体型としての完成はまだみられません。神話の英雄の倒叙人物の一人がミスを犯します。その償いを例えばアポロンの宣託に従って償うと別の人物の殺害であったりと復讐が復讐の連鎖をよび、神々の信託の矛盾がでてしまいます。そこの手打ちさせるのが神々が物語に直接登場し、関係者の和解を促す、大岡裁き的なクライマックスを、デウスエクスマキナと言うそうです。

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インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その3

 どういうビジネスプランであったか、ここでは詳細を省きます。とりあえず、プネ市内をビジネス目的で訪問しました。

 

そして、前日の料理教室の後、やってきたのが、ヨガ教室です。

なんと書いてあるのか、全くわかりません。電話番号とか料金とか営業時間とか、なのでしょうか?あまりに媚なさすぎてチンプンカンプンです。

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本場のヨガは体操でした。もしかしたら日本のスポーツクラブでよくみるエアロビのようなものかもしれません。許可をとって撮影させていただきました。大変活気のあるヨガ教室でした。

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さて、翌日、プネー市内で次は、なにしろはじめてのプネーですから、何があるのか、しっかりチェックしておこうと主要な観光スポットをまわります。

Chattushirigi Temple チャッツシュリジ寺院とよでも発音するのでしょうか、にやってきました。

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インドは人口爆発中ですから、すごい人だかりなのです。どこにいっても人、人、人。

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そして、外国人観光客、本当にいないのです。そして…当時の写真をみていて気づくのですが物乞いもいません。これがムンバイやデリーにいくとたくさんいるのですが、プネーでは、経済的発展がすごいですからね。やる気さえあれば、ということなのかもしれません。

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上の写真のテントといか、露天ではこの寺院でお祀りしている神様にお供えする花を売っています。インドにもいろんな神様がいます。で、プネーはどちらかといえば観光地ではないので、英語の案内は私が訪問した際はほとんど見ませんでした。外国人観光客自体、ほとんどいません。なので仕方ないといえばそれっきりなのですが…ヒンドゥー教の神様についてしっておくのといいのかもしれません。

 

それにしてもインドを旅行してきて、よかったのが、ムンバイ以外の街では、外国人観光客は目立つはずなのに、放っておいてくれること。「どこから来た?」とか頼みもしないのに英語でガイドしてくれたり、はてにはガイド料をくれと、物乞いみたいなことされたり、そういうのがあるからヨーロッパ以外の地域への旅行はなかなか煩わしいと感じるとが多いのですが、プネーではそういう思いは全くしませんでした。

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上のお土産屋さんも、参拝客のお供え用です。買って、それをお参りしてい本殿に捧げます。

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 多分、ものすごく安いのだろうけど、まったく英語、通じないだろうし、万が一、美味しくなかったとしたら荷物が増えちゃうだけなので、見るだけ…。ただ、なんとく甘い物ではなかろうか?そんな気がします。

 

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ちょうど本殿でのお参りの後です。

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お参りのための長蛇の列です。でも、この日はとくにこの寺院のお祭りの日、というわけでもなかったと思います。私もわけも分からずにこの列にならんだのでした。ただ、遊園地のアトラクションとかとことなり、列はするする進みます。

 

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チャッツシュリジ寺院を後に、プネ観光の一応のランドマーク的存在、シャニワー・ワーダー(shaniwar Wada)に来ました。ワダではなく、ワーダーと伸ばすそうです。しかも、ウィキで調べてていまさら気づいたのですが、プネではなく、プネーなんだそうです。現地ではプネ、と発音していたような気がしましたが。

 

上の写真が城門です。ムンバイから入ってプネにくると、旧市街というのはまあ、そこそこ見たりするのですが、いわゆる土着の、例えばヨーロッパを旅行すると目にするような封建制の名残としての城塞的なものをほとんどみることがありません。まるで、最初から共和国だったっけ?と。ですが、実際は、インドは英国に併合されるまではその歴史をみると戦乱の歴史でもありました。世界史を勉強した人ならムガール帝国というのがインドを支配していたことを、なんとなく思い出しませんか?ムガール帝国は英国の植民地として、後には英国によって滅亡させられインド帝国としてとって替わられました。

 

上の写真の城門のすぐ上の櫓というのでしょうか。見晴台です。なんだか西洋のお城みたいですよね。そこにオリエンタルの要素のような。アジアと言うより西洋ですよね。とっても好感が持てます。

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ここ、デッカン高原は日本で言えば軽井沢のような高地にあります。こんな高いところでまで、しかも、ものすごい暑さと湿気の中、当時の英国の軍人は鉄砲をかついで行軍してきたのかとおもうと…不思議ですね。どんな意味があって、当時はおそらくなにもなかったであろう地方都市を後略したのでしょう。その見返りはあったのかな?あるいは当時はもっと現在とは価値基準がことなりますから、価値があったのでしょうか?いろいろ疑問におもってしまいます。ただ、この地の人にしたら、自分の国と英国に外交関係があって、それがもつれて宣戦布告というのであればともかく(それでも戦争は反対ですが。)これは、単なる侵略ですよね。しかも居座り強盗なわけです。日本は幸い、そういう経験をしたことはありませんが…

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立派な城門ですが、戦争となったら大砲の前には為す術もないのでしょうね。

 

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内部は廃墟、じゃなかった公園です。美しく整備されています。

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多分、正面に宮殿があったのでしょうね。再建してくれてたら当時のイメージも湧くのですが。これはこれで美しいとは思いますが、城門が立派なだけにちょっとガッカリ感はしますよね。

 

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先程の城門を反対側からみるとこんな感じです。
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城壁の外は繁華街なのです。

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ムンバイは車社会ですが…この狭いプネ市内はリキシャやバイクが大活躍です。

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旧市街の中心にこのシャワニール・ワーダーは残っています。その周囲は交通量も多く大変活気にあふれています。上の写真は駐車場に面した城壁です。なんという木かはしりませんが、巨大です。城壁の規模感も伝わるとは思いますが、ただ、これだけの巨大都市です。このシャワニール・ワーダーにしても、領主の館か行政府くらいの位置づけに過ぎなっかったのかもしれませんね。

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ちょっぷりダサダサな独特の様式の建築がインド的ですよね。見どころというほどのみどころは無いのですが、主要な場所は旧市内の中心地。つまりシャワニール・ワーダーの周辺にあります。そして、ページを改めて紹介しますが、高台の寺院は徒歩ではいけません。タクシー、またはリキシャでの移動となります。

 

それにしてもお気づきかもしれませんんが、観光客向けのお土産店というのは殆どありません。多分、皆無です。これは旧市街だけでなく新市街にいっても同様です。このあたりがインドの不思議なところでもあります。シャワニール・ワーダー内にもジュースの自動販売機一つないのです。(すぐそとではスイカをうる屋台はありましたが)もちろん、コンビ二もありません。なので、割と道路がきれいなんですよね。

 

そして、英語はほとんど通じません。誰だ!インドは英語が母国語だなんてほざいていたのは(笑)?ちなみにプネーにはプネー大学があり、そこには日本語学科があるそうです。

 

こういう市街をあるくとき気をつけたいのは日本と違って車はとまってくれません。信号のないところを渡るときは注意が必要です。

 

 

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その2

プネ市内ではマガルパッタシティを訪問します。

ここはシティというだけあって、この中だけが外界を隔たれた町を形成しています。下の写真が入り口なのですが、区画全体がフェンスで囲まれています。

フェンス内部には、病院、映画館、住居棟、オフィス棟があります。

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下の写真の左側のボックスが検問所というが入り口です。もちろんガードマンがいます。

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日本の人力車がその由来といわれるリキシャは中には基本、入れません。

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これ、実際に行ったのはかなり昔なんですが、あれ、インドってこんなに近代的だっけ?って思っちゃいますよね?

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このフェンスでかこまれたシティの外はどうなっているかというと、

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我々のよく知るインドがそこにはあります。そこかしこに「女の子を救おう」という看板があります。これ。どういうことか聞くと、インドでは男子が跡取りとして重宝されるので女児がうまれるとそのまま放ったらかしにして、最悪の場合…ということが(当時ですが)頻繁にあるのだそうです。継がせる家があるような金持ちだけの話しかとおもいきや、貧しい世帯であっても同様に男子のみを待望するのだそうです。で、結局、この後、アジャンタ・エローラの石窟寺院に行くときにも言及しますが、バスでの交通手段しかない町へ、バスで移動すると停留場は宿場というのでしょうが、かなりの賑わいがあるのですが、そこには男性しかいないのです。

一面、若い男性ばかりというのは気持ち悪いです。インドは女児の命をあまりに軽視する一方でレイプの犯罪も頻発しています。女性の一人旅は、お勧めできません。

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フェンス外のいわゆる古いインドも急速に都市化を始めているので、下の写真のような素敵なマンション群が建設中なのですが、逆に、その土地のもともともつ因縁というか、由来というか、特性がきえてしまうのって、いくらよその国のお話とはいえ、すこし怖いですよね。

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先程のフェンスで囲まれた区画の中の企業を訪問しました。研修室です。なんが語学学校みたいな雰囲気ですよね。

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普通によくある海外の会社って感じですよね。下の写真は、なんと、社員食堂です。インドの企業文化はかなり日本を真似しています。ものづくりの現場におけるそれはわかるのですが、ITであっても、日本のものづくりで学んでインドで創業している企業のカルチャーを受け継いでいると思われるシーンにでくわすこと、多いです。

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こちらがメニューです。インドの企業は社員食堂があるのが一般的です。もちろん、地域によります。が、そもそもインド関連で起業しようとおもったきっかけとなったインド旅行はチェンナイでしたが、チェンナイの企業にも社員食堂がありました。メニューは、ベジとノンベジとすくなくとも2種類に対応しています。もちろん、自宅から持ってきている人もたくさんいます。企業によってはビュフェ方式をとっているところもあります。そこは人員の規模にもよりますが、オフィス外での飲食のスペースが屋台形式のものに限られる地域も多く、また、インド人にとっても、暑いものは暑いということらしく、経済合理性がはたらいているようです。

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美味しそうですよね。

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ちなみにキーマカレーはこのデカン高原の町、プネではほとんどお目にかかることはできませんでした。肉は貴重なんですね。油と炭水化物。これでうまいビールがあったら大変です。

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再び、マガルパッタシティを出て、プネ市内に戻ります。

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株式公開している超大企業、もちろんIT系を訪問します。

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この企業の周辺はさぞかし立派な工業団地とおもいきや…ちょっとびっくりですよね。大体4種類くらい。上の写真のようなスラムっぽい雰囲気、ふるい朽ち果てたようなつる草の絡まる集合住宅、高級住宅、高級マンション。そんな感じでしょうか。

上の写真から判断するに、この企業の立地はもともとスラム、といっていい場所だったのかも知れませんん。結局、こういう場所を地上げして更地にして、おっきなオフィスビルを作るのがコスト的に手っ取り早いのかもしれません。この企業はインド各地にたくさんの拠点を持っています。

下の写真は、料理教室を開催されているお宅に見学にお邪魔しました。

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お料理教室のキッチンです。実は外見はぶっちゃけボロそうなつくりなのですが、中は以外とコンパクトに小部屋が配置されて快適そうなつくりだったりします。

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サンプルとしてひとつ試食させていただきました。この地方のスナックです。郷土料理っていいと思います。かなり美味しいです。

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ひとつじゃなく、二ついただいたのでした。

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まちなかにはいつも、ではありませんが、こんな感じで普通にゾウがいます。当然、写真とったらお金請求されます。

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基本、インドは何やってもたかられます(=お金を要求されます)。もちろん、払う必要はありません。要求する側もダメ元でやっているのでしょうね。その割にはしつこいです。

はじめてのインド旅行を個人で恋人同士でいくことはまるでおすすめできません。とにかく人がたくさん。そして、親切そうに話しかけてきて、お金を撮ろうとします。すりではないのでフランスとまた、違った注意が必要です。

インドに起業のネタ探し旅行記(番外編)その1

インド絡みで起業するためにインドに行った話

実は、インド関連で起業をしています。

(このブログ、ほぼ実名ですが、完全にオープンにしたくもないので、一部、曖昧な表現でぼかしてたりしますが、そこはどうかご容赦くださいね。)

当時、ムンバイに行くにはANAのビジネスジェットしかありませんでした。ビジネスジェットっていうくらいだから、ビジネスの設定しか無いんだろうなあとおもっていました。ところがCAさんに聞いたら、「後ろのほうにエコノミークラスもございますよ!」とのお話。これには腰が抜けるくらい(まだ、抜けたこと無いけど)びっくりしました。

ということでお約束のビジネスの食事。昔の話です。これから旅行する人にはあんまり参考にならないかも、です。

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なんか、これからインド行くってかんじじゃないよね。

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当時、JALはムンバイへはとんでおらず、また、ANAはデリーへの直行便がありませんでした。今は…しりません。

で、よくよく考えればカタール航空を使えば、快適にしかも格安でムンバイへいけるのですが、当時は、まっすぐな思いで、ANAのビジネスクラスでムンバイへとむかったのでした。ちなみに8時間くらいでつきます。機体は小さく、ビジネスといっても、食事だけ、って感じでした。ANAはラウンジになんにもなくて、乗るたびに思うのですが、がっかりします。ま、マイレージでいくにはちょうどよいのかもしれません。

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最高だったのは外の風景。

これは多分、インドとミャンマーの国境おの山脈だとおもいます。

ウィキペディアをみててはじめしりました。

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バングラデシュとミャンマーの間にインドがあるんですね。飛び地?あるいは北部でインドつながっててバングラデシュを囲むようにあるのかな。

もともとインドとパキスタンとバングラデシュは英領インド帝国で一つの(植民地)国家でした。

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もう、この写真が取れただけで感動でした。ビジネスにのってムンバイ直行便にのった価値がわたしにはありました。

ちなみに、この前年にエアー・インディアでデリーにいったことがあるのですが、そのときはルートが違うんですね。着も深夜ですし。

そして、ムンバイについたらプネーに向かいます。8時間とはいえ、ムンバイには午後8時ころだったかな?到着した記憶があります。着陸はムンバイの市街をとおります。夜なのですが、碁盤目のようにわりと区画割がされており、その家々は暗いのですが、街路がしっかり明るく照らされているため、とても不思議な感じがします。ムンバイにつくと知人に事前に知人に手配してあった車(乗りあいタクシー)でプネー市に向かいます。当時、ムンバイ空港の周囲は大規模な土木工事中でした。ものすごい大渋滞なのでした。空港周辺を抜けるのに1時間、その後は市内の普通の道を縫うようにして、プネー市のあるデッカン高原へのハイウェイを目指します。当然、何百キロもはなれていますから、午後8時ころに出てもたしかホテルにチェックインしたのは深夜2時過ぎでした。下の写真からもわかるようにわりと一流ホテルではありますが、乗り合いタクシーの運転手がホテルの位置、わかるのだろうかと思っていましたが、プロなんですねえ。プネ=ムンバイ間は常に乗り合いタクシーで移動したので、このあと、何度もお世話になるのですが、ここはもっとも安心できました。

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少し、乗り合いタクシーについて補足します。

ムンバイからは、これがアドベンチャーなのです。空港について、ムンバイから目的地のプネまでは車でむかいます。予算は抑えめでつたえてあったので、乗り合いです。赤の他人と後部座席に3人です。そのタクシー乗り場といっても、普通に駐車場にとまっている車へむかうのですが、その途中、荷物を持とうとてくれます。荷物をもたれるとしつこく喜捨(バクシーシ)だったかな?たかられます。私はアジアとか中近東は(昔、シリアを一人旅したことがありますが)これがあるから嫌いです。遠慮してもスーツケースを持とうとよってきます、というよりたかってきます、という表現がぴったりします。ムンバイは本当にムシムシして、夜間でも暑いのです。本当に毎回、イラっとさせられたものです。

ムンバイからプネまでは6時間位かかったと思います。 なにしろ、ムンバイ空港の渋滞から抜けられないんですね。ものすごい車です。人です。そして、長時間、長距離です。

途中でドライブインのようなところに泊まります。英語がほとんど通じませんから、何時まで休憩タイムなのか、さっぱりわかりません。おいてかれたらアウトですよね。(向こうもお金とって商売している以上、しかも目立つ日本人。そんな心配はいりませんでしたが。)

そんなこんなで繰り返しになりますが、ホテルのチェックインは深夜というか早朝です。部屋、キャンセルされてたらどうしよう?とか思いましたがなんてことはない。ホテル側はよくわかっていたみたいでした。

 

ただ、毎年、ムンバイから深夜に入っていたのですが、年毎に改善されています。空港周辺の渋滞はハイウェイが整備され、かなり改善されました。空港自体もあたらしい近代的デザインの空港がいまではオープンしています。この経済効果はすごいと思います。おそらく、いつかは、ムンバイ=プネー間もシャトル便が整備されるのかもしれません。

次回候補2の1 ホテル予約が課題!ボーヌ:黄金の三日間+ボジョレー:ヌーボー解禁、

11月の第3週の週末はボーヌが黄金の三日間、第3木曜日はボージョレー・ヌーボー

ブルゴーニュ地方のワイン観光の拠点といえば、ボーヌ。そのボーヌの中心部にあるのが救貧院。ホスピス・ドゥ・ボーヌと呼ばれています。毎年3日間、ここの救貧院が所有するワイン畑から取れたワインを樽でオークションにかけられます。その売上は施設の運営につかれるそうです。今年(2019年)は11月15、16、17日。この記事を書いている2月14日現在、ホテルの確保は絶望的です。ただし、パリから日帰りツアーも出ています。ボーヌのリピならそれも◎。

これはミキ・ツーリストの2018年のものです。例によって盗難のリスクもあるし、ディジョンまではドル箱なので、TGVも高いから、個人でいくなら、ボーヌやディジョンに一度は行ったことがあるという人はこういうのもいいかもしれませんね。

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気持ち悪いことにネットで検索すると、黄金の三日間で上位に表示される内容は、学校の先生が新しい学年でクラスがスタートするとき、最初の3日間が大事ですよ、という意味でてきます。

 

ボーヌの黄金の三日間

私はそんなことには興味なく、ここではフランスのワインに関連した文脈で黄金の三日間について簡単に説明します。(といっても、全然、知らない人はこのページにくることもないかな?)いろんな方がその内容や訪問記をブログに残してくれています。なのでここでは簡潔に。その内容は、チャリティー・オークションです。救貧院が所有する畑からとれたぶどうでつくったワインの樽単位でのせりです。

 

救貧院というとなんか良い響きですよね。フランス語ではオスピス・ドゥ・ボーヌとよばれています。実際に現地にいくと創立者のニコラ・ロラン夫妻が神にいのる肖像画がかかっています。が、ブルゴーニュ公爵フィリップ善良公の大臣をつとめたニコラ・ロランは庶民を苦しめたそうです。ブルゴーニュ地方を旅行するとブルゴーニュ公フィリップの肖像画をいたるところで目にします。(フィリップ善良公(Philippe le Bon)となんか庶民思いの王様なのかな?なんてイメージしちゃいますが、ジャンヌダルクを捕まえて英国軍に売り渡したり、パリを占領したり…ネーミングセンスに微妙なものを感じます。)

 

 

六本木でワインバーのオーナーをしている私の友人が昔、1樽、落札したことがあるそうですが、ラベルに名前を入れることができるそうです。その話をきいたときは「あ、そう~」って感じでしたが、落札すると樽がくるのか、それとも瓶詰めされたのが届くのか?前者なら瓶詰めは誰がどこで、どのくらいの料金でしてくれるのか?後者だとしたら樽は受け取れるのか?ワインを少し勉強した今ではいろいろ疑問が湧いてきます(笑)。

 

 

もちろん、オークションに参加するために行きたいというわけでありません。そのお祭りの雰囲気を体験したくて行きたいと思っています。いろんな方のブログやHPを参考にさせていただいたのですが、オークションだけではなくボーヌの街全体がその年のワインの収穫のお祭りとなるようなのです。

 

 

ボジョレー地方のボジョレー・ヌーボー解禁のお祭り

ほぼ前後して11月の第3木曜日はボージョレー・ヌーボーの解禁日です。パリでお祭りのようなものがあるのは検索すると出てきます。ですが、せっかくなら、ボジョレー地方はブルゴーニュのすぐ南ですからボーヌに行くついでに一緒に行ってみたいですよね。

 

耳タコでしょうが、ボジョレーヌーボーの3分の1が日本向け輸出だそうです。また、韓国でも大量に消費されているそうです。日付変更線の関係で日本が一番最初に解禁になります。日本のお祭りも一部で毎年もりあがっているようですが、航空便で運ばれてくるボジョレー・ヌーボーの価格はあまりにも高いですよね。一本二千円代後半の価値があるのか…

 

ですが、観光となれば話は別です。次回候補2の2をみていただきたいのですが、丘陵地帯にいくつもの大きなシャトーが立ち並び、とても風光明媚です。

 

 

そもそもボジョレーとブルゴーニュ、何が違うの?

なんとなく似たような名前ですよね。地理も、隣接しています。北がブルゴーニュ地方、南がボジョレー地方と南北に分かれています。ボジョレー地方の南がリヨン市でリヨン市です。

 

ブルゴーニュとボジョレーでは植えられているブドウの種がことなります。ブルゴーニュでは赤がピノ・ノワール、白がシャルドネです。ボジョレーは赤がメインでガメイ種になります。

 

このブルゴーニュとボジョレーにきっちり線引がされているのは、歴史的な背景があります。元々、ブルゴーニュ地方、ガメイ種の栽培が盛んだったのですが、ブルゴーニュ公国が本家のフランス王国から独立状態になった頃、自家の領土内つまり、ブルゴーニュ地方でのガメイ種を引き抜かせ、植えかえ、ガメイ種の栽培を禁止したところから現在のブルゴーニュ地方のワイン生産の文化が完成されていったのでした。はじめて世界史を勉強した時、王国の他に公国ってものがあるんだ、とか、ブグルント公国って書いてあったり、ブルゴーニュ公国って書いてあったり、どちらかに統一しろよ、とか、よく思いました。試験には出ないから結果、どうでもよかったのですが、まるで理解できませんでした。多分、世界史の先生も理解できていなかったと思います。

 

このブルゴーニュ公国はボルドー以南と英国をおさめていたプランタジュネ家と一緒になってフランス王国の王位を狙って100年戦争に参加します。

 

ボジョレー地方はその頃、フランス王国の領土でしたから…そして総元締めのフランス王家が相続問題でガタガタでしたから…ほうっておかれたのかもしれませんね。

 

閑話休題。ボルドーと異なり、ブルゴーニュ地方の素晴らしいところは観光が楽につきます。ボルドーだとどうしても現地でツアーにはいるか、レンタカーをかりないとシャトーを回れませこん、それですら数は限られます。もちろん、シャトーの訪問は事前予約が必須で、有料です。安くないです。

 

ブルゴーニュは、とくにボーヌでは市内に有料ですが試飲を、しかも通年できる施設があります。ですから急にいくことになったとしても、予約なしでブルゴーニュワインの世界を楽しむことが可能です。

 

お酒を飲めない人は楽しめるのか?

 グルメなら良し!和食じゃなきゃだめとなるとハードルは高いです。歴史ヲタなら◎。ブルゴーニュが欧州、あるいはフランス全体に及ぼした影響はとても大きいのですこしでも学んでからくると帰国してから文学作品を読むとよりヴィヴィットにイメージできて楽しみが倍増します。

 

歴史に興味なく、お酒が飲めなく、食事は和食派。脂っこいものが嫌いという人は…

 多分何もないです。アヴィニョン以南のプロヴァンスまで行けば、印象派の絵画のモデルとなった風景も楽しめます。歴史知らなくてもローマ時代の建築物とか圧倒されます。

 

ボルドーを100倍楽しむ!2019年のペサック・レオニャン、ワインイベント 

 

ボルドー行く前に、年間のワインのイベントをチェック!

 

せっかくボルドーに行くなら、ワインが好きなら、ワインのイベントにあわせていきたいですよね。ブルゴーニュと違ってボルドーは大都市なので、ホテルの選択肢もたくさんあります。

 

ということで、www.french-property.comさんから、2018年のイベントを引用させていただきました。下の引用は2018年のものですから、2019年は当然、別日程なわけです。で、いろいろ検索して2月12日現在、判明しているところでは12月7、8日がペサック・レオニャンのポフト・ウーベルト(オープンデイ)でした。ホテルズドットコムでみたら、ペサック・レオニャンの例えばパプクレマンのホテルは予約がはいっていますが、市内のイビスなどのビジネスホテル系は空室、あります。

Bordeaux

Marathon du Medoc, Bordeaux – 9th Sept – The main wine festival in Bordeaux takes place in June, but this is a worthy sequel. Wine tasting at around 55 fabulous chateaux whilst you run a 42-kilometre marathon starting and finishing in the village of Pauillac. The tastings accompanied by plates of cheese, oysters and steak en route. An event now in its 33rd year, organised by marathon runners, but for all-comers. Around 8,000 thousand runners participate. Lovely route and lots of fun, with most runners in fancy dress. Dinner and fireworks in the evening. Entries now closed but spectators welcome. More information at Marathon du Medoc.

Ban des Vendanges de la Jurade de Saint-Emilion – 15th/16th September – Less a wine festival than a wine ceremony, which formally inaugurates the start of the grape harvest in a rather spiritual manner. A bit of a curiosity because of the semi-religious nature of the occasion, but it is a process that is mirrored in other wine areas of France. A cortege of several dozen costumed ‘jurats’ walk through the village to a church service to proclaim the start of the harvest. Smaller scale events around the occasion.

Portes Ouvertes des Graves – 20th/21st Oct – Around 69 chateaux open their doors to show their wines in over 3,000 hectares of vineyards. Wine school will lead several tasting workshops.

Portes Ouvertes Fronsac – 28th/29th Oct – Open doors in the chaisfollowing the 12km/24 km marathons that takes place.

Margaux Saveurs – 16th/18th Nov – A more refined and orderly portes ouvertes in this prestigious appellation. A pity some of the best producers prefer to remain behind closed doors, but a good range of tastings, lunches and dinners, musical events and artisanal market.

Portes Ouvertes des Sauternes et Barsac – 10th/11th Nov. – Around 50 chateaux that open their doors to visitors with each one providing a range of attractions as well as wine tasting. Food, concerts, and other cultural offers. Although the famous Chateaux d’Yquem considers the occasion below itself to participate there are many great chateaux that do, with wines just as good at half the price.

Portes Ouvertes des Pessac-Leognan – 1st/2nd Dec – Around 40 chateaux the open their doors to show their red and white wines, accompanied by local fayre and events. 

Portes Ouvertes Castillon Cotes De Bordeaux – 8th/9th Sept – Around 18 winemakers open their doors at this appellation on the eastern boundary of Bordeaux. 

 ペサック・レオニャンのポフト・ウーヴェルツは2019年は12月7,8日

ペサック・レオニャンの場合は特設サイトwww.pessac-leognan.com/week-end-portes-ouvertes-2/があります。

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下に小さく、2019年は12月7日(土)、8日(日)に開催されますとかいてあります。今の所、日程がかたまっているのはペサック・レオニャンだけなのです。オー・ブリオンとかラ・ミッション・オー・ブリオンとかパプクレマンなどで、有名な地域です。個人的に大好きなエリアです。パプクレマンについては過去記事もご覧いただけたらと思います。

tacoyaki.hatenablog.com

 

さて、ポフト・ウーヴェルツとは何でしょう?英語風に言えばオープンデイなかんじでしょうか?大学とかでよくありますよね。

 

ユーチューブをみてたらシャトー・ラ・トゥール・マルティヤック Château Latour-Martillacのそれがありましたが、ちょっとイメージが湧きにくいでしょうか? 

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下は、グラーヴのものでペサック・レオニャンでがありませんが、ユーチューブにありました。ポフト・ウーヴェルトはこんな感じでしょうか?

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マルゴー村のマルゴー・サヴウーは11月第3週末。2018年は11月16~18日

シャトー・マルゴーでも有名なマルゴー村でも同種のイベントがあります。11月の3週目の週末ということだそうですが、ペサック・レオニャンと異なり正式発表はまだありません。マルゴー村のそれはSaveurという表現をしています。マルゴーを知ろうデー位の訳でいいと思います。

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こちらもマルゴーのワイナリーが訪問できて、シャトーでのランチやディナーがあります。一人でいくと辛いかもしれませんね。友達あるいは恋人と行きたいイベントです。

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ユーチューブで過去の映像がありました。これを見ると、暖流が流れているとは言え、かなり防寒対策が必要なことがわかりますね(笑)。

 

雰囲気は、ペサック・レオニャンのそれとやっぱり一緒ですよね。ワインがしゅやくですから、そこは。

 

ポイントは、超高級品のマルゴーを選ぶか、手の届く価格のペサック・レオニャンを知り尽くすか?の違いかも知れません。レンタサイクルがつかえればマルゴーは楽しいとおもいます。ペサック・レオニャンはさむすぎるかもしれませんね。ただ、ペサック・レオニャンは日本でも名をしられていないシャトーはたくさんあります。それからボルドー市内にちかいのも魅力です。

 

ソーテルヌ・バルサックのポフト・ウーヴェルツは11月第2週末?2018年は11月10~11日

 

シャトー・ディケムで有名な貴腐ワインの産地。とっても甘くて私も大好きなワインの産地でもあります。そして法の精神で有名なモンテスキューの実家もある。そしてサン=テミリオンへのアクセスもよく、ボルドーでも、ワインとその地域の歴史などとの観光のバランスがボルドー市内並によくとれているのが、この地域。ただし、田舎です。かなり興味はありますが…ここは11月の第2週末のようです。こちらは2019年の予定はなんのアナウンスもありませんので、要注意です。またシャトー・ディケムはイベントにあまり積極的ではないようです。

 

もしかしたらシャトー・ディケムは有料の訪問をして、近くのシャトーのソーテルヌとすこしお手頃のバルサックを買えばもう、十分かもしれないのですが…

 

ボルドーのシャトーヴィジイットの特徴は、ほんの一口だけでも飲むか?特別な時に飲むワインをそのシャトーを訪問して決めるか?ある程度、目的を持ったほうがいいかもしれませんね。本職のソムリエでも無い限り、味の違いはわかるでしょうけれどもどっちがどう(高い安い)はわからないと思います。

ムスティエール・サント・マリー~グレウー・レ・バン~ロキシタン工場見学~サン=サトゥルマン=レ=アプト~ルシヨン~アヴィニョンへ

ムスティエール・サント・マリーム~グレウー・レ・バン~ロキシタン工場見学~サン=サトゥルマン=レ=アプト~ルシヨン~アヴィニョンへ

 ムスティエール・サント・マリー

大自然の中、ぽっとできてたムスティエール・サント・マリー。駐車場にはたくさんの車が止まっています。観光客の一休みというのもあるのでしょうけれど、ここは陶器の町でもあります。地域の雇用を創出しているのかもしれません。ここの陶器は白地に気球のイラストが書きつけられていることが特徴です。マリー・アントワネットがこのんだことで有名です。お土産用にといっても、すべてがお土産かも?とか思いながら、フランスの他の地域ではめにすることはありませんので、いくつか買いました。基本、どれも同じデザインです。私は茶道を学んでいるのですが、お茶碗にも最適です。まあ、日本のそれにくらべると趣もなにもあったものではありませんが…。

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ムスティエール・サント・マリーは岩山の中腹にあります。このあたりではめだちますし、防衛にも適した場所を上手に選んで町が作られています。そのため町からは町の前をとおる街道を見渡すことができます。

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町というか村の中心の広場です。
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不思議な場所にムスティエール・サント・マリーはあります。

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5月だったので、一面、菜の花畑です。
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引き続き悪路をすすむとこんなお城がひょっこり出てきます。おそらく個人の住居だとおもいます。すてきですよね。

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グレウー・レ・バン

さて、さらにすすむとグレウー・レ・バンにでます。結構、大きな町です。そして町をみおろす丘には立派な城があります。このお城、テンプル騎士団の所有する城だったそうです。以上(笑)。この地域の歴史や観光のランドマークに対する説明はだいたいこんな感じでシンプルなのです。このお城も旧市街を突き抜けていったところにあるので目指します。そして下の写真の裏側に到達するのですが…驚愕なことに、このお城、壁だけなんです。裏はなにもない広場のようなスペースです。これには驚きました。ここはここで趣のある町ですが…結局、このあとのロキシタンの工場見学、ここ、グレウー・レ・バンの観光局で申し込む必要がありました。さっさと申し込みロキシタンに向かえばよかったのですが…

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地名に「○○・レ・バン」とつくと、ざっくり言えば温泉がでる保養地であることが多いです。ただし、フランスの温泉は保養施設で医師の診断書が必要なところがほとんどです。ここもそういった医療施設です。日帰り入浴できるとおもってきたのですが、だめでした。

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建物はきれいです。

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ロキシタン工場見学

ロキシタンの工場見学にきました。がファクトリー・ヴィジットの時間には間に合わず、直売所によるだけとなってしまいました。

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USINE(ウジーヌ)は工場という意味です。

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この工場で作られた製品を直売していますと書いてあります。

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サン=サトゥルマン=レ=アプト

このあとはサン=サトゥルマン=レ=アプトへとむかいます。もう、夕方です。そして、ここにも城跡があります。

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サン=サトゥルマン=レ=アプトの城跡からの眺望です。

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順番が前後しますが、駐車場から城跡への城下町です。
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城跡に唯一のこる礼拝堂です。

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ルシヨン

このあとはルシヨンです。時間が時間なので、村にはひっそりしています。営業時間後のテーマパークのような雰囲気です。夕方、人がいない状態でした。プロヴァンス観光の訪ねたい村に必ずはいっているこのルシヨンでも元妻にとっては、何しにきたんだっけ?とおもわれたかもしれませんね。一緒に行く人との知識レベルのすり合わせは重要です。

 

この村は顔料が取れます。たてものの壁土に顔料が含まれとても美しいことで有名です。

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アヴィニョン

アヴィニョンにつきました。写真は翌日の明るいときのもの。実際はもう、かなり暗くなってから着きました。

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上の写真のパブで夕食です。価格も同種のものを日本でたのむのとそれほど変わりません。疲れているときはワインよりもビールの方がアルコール軽めでいいですね。ちなみにこのお店、学生時代にはじめてきたときも、それから、2009年も、そして、2018年にきたときも変わらず営業しています。飲食って場所ですよね~。2018年が一番賑わっているように感じました。

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アヴィニョンの城壁の外にある非常に快適なホテルにとまりました。

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このページのルートです。

バール=シュル=ルー(le bar sur la loup)のホテルをチェックアウトして、結構な長距離をいろんなところにちょいちょい寄りながらベストルートをとれたんじゃないかなと思います。途中に二泊したら、最高だったかも。もう一度いくならこんなルートにしたい、というのを別にページ作ってまとめてみたいと思います。興味ある方はごらんになってみてくださいね。

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ニース、プロヴァンス鉄道、アントルヴォー

ニース、プロヴァンス鉄道で行くアントルヴォー

2009年のフランス旅行の記録です。

最初にニースに入り、そこからレンタカーでグラース、ナポレオン街道、ゴルドン渓谷、プロヴァンス、そして、パリへと抜けました。当時は大冒険でした。今、行こうと思っても、諸事情で難しいだろうなあと思ったりもします。ですが、せっかくの記録。このときは楽しい思いもそうでない思いもたくさんしたのですが、少しでも記録に残せたら、と思い当時のことを思い出しながら書いています。

 

何しろ10年前の記録。カテゴリーの2009年とあったらあまり期待しないで、参考程度、くらいで温かい目でみていただけたらとおもいます。

 

初日はニースにチェックインし、その後、プロヴァンス鉄道に乗りました。

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プロヴァンス鉄道はニース↔ディーニュ・レ・バン間を結ぶ鉄道です。

途中、山間の谷間を通るのですが、ところどころとっても美しかったりします。

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 ほとんどバスですね。f:id:TACOYAKI:20190106051454j:plain

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ニース市内を抜けるとコート・ダジュールと呼ばれる地域、海につながる河川の断崖上につくられた村々の間を通り抜けます。昔はそれだけ、異教徒の海賊やら、ノルマン人やら侵入者がたくさんいたのでしょうね。このあとみることになりますが、このあたりの村落の作りはとても他者を警戒するような作りになっています。

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そして、この日の目的地アントルヴォーにつきました。

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ここ、アントルヴォーには、五稜郭でも有名な築城術の大家、ヴォーヴァンの設計による要塞があります。私が幼い頃、函館の五稜郭はオランダの築城術に従って作られたと習いました。現在はフランスの~になおされているはずですが、あの、星型の都市をまもる要塞を築城術として完成させたのがフランスのヴォーバンです。アンバリッドにも祀られています。五稜郭の話ですが、ただしくはオランダ語に訳されたフランスもヴォーバンによる築城術に基づいてつくられたということになります。

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駅をでるとすぐ、アントルヴォーの美しい光景が目の前にひろがります。

山の頂上の砦にむかう道に白い点が見えます。これは通路を頂上へ向かって進ませないためのゲートです。

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ちなみに駅前はこんな素敵なバーというかカフェがあります。

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そして、このゲートを超えてアントルヴォーに入っていきます。

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こんな狭い道を攻め登っていかなければなりません。そして、ところどころにゲートというか、壁があります。もう、鉄壁の守りですよね。

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さすがにニース近郊です。麓の村々にどことなく豊かさを感じます。

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いよいよ頂上ですね。

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てっぺんです。なんのことはない見張り小屋です。

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霧が晴れてきました。なかなか不思議な光景ですよね。

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この谷間をフランスの敵国の軍勢に入られないようにこの要塞を作ったのだと思います。

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ですが、ちょっと思いました。もし、私でもあなたでもこの道を通って、フランス領に侵入しようと思ったとします。ここに砦がありました。でも、多くの歩兵や騎兵を保有しているとはおもえない規模ですよね。しかも、大砲を据え付けるだけの平地もなさそう。

無理して落城させる必要があるのかな?そのままスルーしても何の問題もないのでは?

 じつはアントルヴォー、昔かよっていたフランス語の学校のクラスの壁に大きな立派なポスターが貼ってあったんですね。で、一度は来てみたいとおもったのでした。しかもヴォーバンの設計です。で、城にのぼっておもったのですが…城に登ったら城のきれいな写真は撮れないんですね。登るべきは絶景ポイントなんです。これはショックでした。なにしろすごい霧の中、あの上り道をのぼっていったのですから。

 

ただ、写真に興味のある人、ニースに来たけど、中世フランスの味わいも体験したいという人、泊まる必要はありません。事前にしっかり絶景ポイントを調べて来れば、かなり良い写真取れると思います。何しろ、私、いままでいろいろなフランスのお城をたずねてきましたが、このタイプは別格です。もはやRPGの世界のようなお城です。昔のFFにでてきそうな。被写体としても、このあたりの風景としても、おすすめです。

 

このページのルートです。

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実際はプロヴァンス鉄道だけで行ってます。あくまでイメージとして、ね。

パリを満喫

パリに来ました。

前回の続きです。シテ島内のホテルにチェックインしました。

もう何度も来ていますが、パリには他の国にはない独特の魅力があります。

凱旋門

絶対に、何がなんでも来てほしいのが凱旋門ルーブルやオルセーよりも間違いなく外さないと思います。美術品は好き嫌いありますし、並びます。エッフェル塔は常にテロのリスクがあります。

 

しかし凱旋門は…この眺め!しかも…中に入るとひたすら長い階段を登り続けます。火災になれば大変ですが、とにかく人が一箇所にあつまらないため、テロの効率が悪すぎます。建物の破壊すら用意ではありませんん。なので、個人的にテロのターゲットにはなりにくいと思っています。

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この道、マルソー大通りをまっすぐ進むと

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アルマ橋にでます。美しいですよね。エッフェル塔

ケ・ブランリー美術館

その後、向かうはエッフェル塔ではなくケ・ブランリー美術館。ここはお薦めです。なにしろ展示の方法が面白い。おもにフランスの海外植民地で収奪してきた民族文化のコレクションですが、なかなかイマジネーションを掻き立てられます。それからこのケ・ブランリー美術館の屋上のレストラン、実はまだいったことないのですが、いろいろなところで取り上げれています。

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この後は…下水道博物館なのでした。

下水道博物館

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SENS DE LA VISTEは「見学者はこちら」みたいな意味です。

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昔はこの船で地下の下水を攫っていたそうです。想像しただけで気持ち悪いですね。

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これはたしか、レ・ミゼラブルからの1シーンだったと思います。この数年後にミュージカルを映画にしたレ・ミゼラブル、ご覧になった方も多いと思います。最後の下水道での追跡劇、圧巻ですよね。マリウスとかコレットとかジャベールとか懐かしい。

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これは現在だと思います。この球をころがして掃除しているわけですね。

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アンバリッド

出口から、セーヌ河岸を歩くとアンバリッドにつきます。ここは廃兵院といいます。廃兵院、なんのことだかわかりますか?私は大学2年生の時、はじめてフランスにきたのですが、意味がわかりませんでした。地球の歩き方をみると「ルイ14世が傷病兵を収容するために建てた(以下略)」とあります。この説明でわかりますか?病院?って思いますよね。でもとてつもなく巨大な建物です。

 

実は、ここは戦争で傷害が残ってしまった人の残りの人生の面倒を見る場所なのです。日本には軍隊がないため、ちょっとイメージわかないですよね。(あってもこういう施設を準備するかどうかは疑問ですが。)現在はプロバンス外人部隊のそういう施設があります。そこではワインも作っています。

ちょっと脱線しましたが、礼拝堂(円屋根のドーム)にはナポレオンの棺が、建物部分は戦争にかんする資料(古代から近代まで、鎧や刀からマシンガンなどの兵器まで)とにかくとんでもない量の展示物です。

ということでお薦めです。

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この街路灯邪魔です(涙)。

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これがナポレオンの棺です。息子のローマ王も一緒に埋葬されています。

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この辺りの鎧はおそらく、アルビジョワ十字軍の頃、全盛だっと思われます。その後の英仏100年戦争の前半あたりまでは。ちなみにフランス語もイタリア語も騎士のことは馬に乗る人、という意味なのですが、英語のナイトだけ意味が違います。Horsemenではないのです。なぜでしょう?当時、軍馬が少なく、馬で移動し、戦争は馬から降りて徒歩で戦ったからだという説があるそうです。

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完成品だけではなく、つけてた人は即死だろう?と思わせるような破損した鎧も展示してあり、なかなかのリアリティを感じさせてくれます。
長くなりましたのでパート2に続きます。